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柏原市・玉手山3号墳 近畿最古の石棺が存在したことを確認

2008年09月18日 | Weblog
 大阪市立大は17日、同市旭ヶ丘の玉手山3号墳(全長約100mの前方後円墳、4世紀初め)の竪穴式石室跡から中国製冑の部品「小札(こざね)」が50点以上出土したこと、また、石棺が存在ことした可能性が高いことがわかったと発表した。
 近くの安福寺に、同古墳から出土したと伝えられる香川産の石材で造られた割竹形石棺の蓋があり、石棺の本体が残っているとみて発掘調査をした。
 乱掘されていて石棺は残っておらず、石室も除去されていたが、予想される石室規模(約4m)や床の構造から石棺の存在が推定できたという。初期の有力古墳が木製の棺を用いたのに対し、同古墳は竪穴式石室に畿内で最古の刳り抜き式石棺を埋葬していたとみられる。
 また、副葬品から、奈良県天理市の黒塚古墳などでも見つかっている中国製冑などを確認。中国製冑は国内で約15例しか見つかっていない。冑は、小札と呼ばれる数百枚の鉄製の板を革ひもでつなぎ合わせ、ヘルメットのような形にしたらしい。このほか青銅製の矢尻や鉄製の武器の破片も見つかった。
 被葬者が河内の最有力首長だったことが裏付けられた。同じ時期の石棺が香川県にあり、被葬者が香川の勢力と密接な関係があったことがうかがわれるとみている。
現地説明会を21日(日)午後2~4時に行う。
[参考: 読売新聞、共同通信]

履歴 2006.8.31
 3号墳の竪穴式石室が盗掘で大きく破壊されていることが発掘調査で確認され、その破損状況から、同古墳近くの安福寺に残されている近畿地方で最古級とされる石棺の蓋(国重要文化財)が、同古墳から出土したものであることがほぼ確実になったことを報じた。
 安福寺に蓋が残る石棺は、丸太状の木棺を模した「割竹形石棺」と呼ばれる石棺の中では最古のタイプで、玉手山3号墳で出土したと言い伝えられてきた。
竪穴式石室は棺を包み込むように造られており、石棺を掘り出した際に石室の壁を大きく壊し、板石を捨てたのではとする。
[参考:朝日新聞]

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