文化財庁国立慶州文化財研究所24日、慶州市排盤洞四天王寺(사천왕사、史跡 第8号)址に対する5次調査結果、金堂が後代に拡張された事実を確認したと発表した。
初めの金堂は、石を敷き土を固めて基壇部を作ったが、後代に拡張された金堂の基盤部は初めの金堂跡の基壇終端部分を斜めに切り、その後の部分に土と石を一部混ぜて構築したことが確認された。後代の金堂は東西21m、南北15m規模で、初めの金堂と比較すると東西方向は2m、南北は3m拡張され、南北軸の中心が北に若干移動したことが分かった。
迦陵頻伽文殊軒瓦と「舎」字銘の異形瓦なども出土した。
また、雁鴨池東側の王京遺跡では、679年創建された新羅の東宮の雁鴨池関連建物跡と庭園施設、塀跡(宮城)などが確認され、東宮の領域が現在の整備された雁鴨池より東と北にはるかに広かったこととみられる。
さらに、東西方向の道路遺跡が発見され、皇龍寺一帯の新羅王京計画都市と密接な関連があると見られるとしている。
[参考:2010.11.24聨合ニュース]
過去の関連ニュース・情報
2009.5.25国立慶州博物館特別展「四天王寺」
2008.12.16 統一新羅初の双塔一金堂式・四天王寺址(慶州) 発掘調査で新たな出土
初めの金堂は、石を敷き土を固めて基壇部を作ったが、後代に拡張された金堂の基盤部は初めの金堂跡の基壇終端部分を斜めに切り、その後の部分に土と石を一部混ぜて構築したことが確認された。後代の金堂は東西21m、南北15m規模で、初めの金堂と比較すると東西方向は2m、南北は3m拡張され、南北軸の中心が北に若干移動したことが分かった。
迦陵頻伽文殊軒瓦と「舎」字銘の異形瓦なども出土した。
また、雁鴨池東側の王京遺跡では、679年創建された新羅の東宮の雁鴨池関連建物跡と庭園施設、塀跡(宮城)などが確認され、東宮の領域が現在の整備された雁鴨池より東と北にはるかに広かったこととみられる。
さらに、東西方向の道路遺跡が発見され、皇龍寺一帯の新羅王京計画都市と密接な関連があると見られるとしている。
[参考:2010.11.24聨合ニュース]
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