岐阜市教委は22日、岐阜市の岐阜公園内の「織田信長公居館跡」の第4次発掘調査の結果、信長が室町時代に居館を構えたとされる金華山西側の裾野から、居館に通じる通路の遺構と「金箔瓦」と「花の飾り瓦」のかけらが初めて出土したと発表した。
出土場所は明治大帝像西側の広場付近。確認された通路遺構は幅約4m、長さ約10m。居館跡の中心部と推測される部分から出土した。過去の調査で遺構の南側部分でも、同じような通路が確認されており、今回の遺構に通じることから、通路の規模は少なくとも長さ35mとみられるという。
金箔瓦の小さなかけら(3cm×3cm)と花の飾り瓦の三角形のかけら(11cm×14cm)、室内装飾品の金具と見られる小さな「金片」、白磁、青磁、染め付けなどの中国磁器や瀬戸・美濃陶器、土師器、鉄砲玉などが出土した。
また、今回の調査で広場付近の土の中から火災に遭った建築廃材が見つかり、付近に建物が存在していたことが分かった。建物の建築年代は不明。
信長の居館の構造について、1569(永禄12)年に岐阜を訪れたポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは著書『日本史』に「広い石段を登ると、大きい広間に入り、前廊と歩廊がついていてまちの一部が望まれる」と記している。通路の遺構から出土した陶磁器から遺構の年代は、信長が岐阜城に入った1567年から、廃城となる1601年までのものとみられる。
金箔瓦が信長の時代に使われたものか、その後、落城するまでの他の城主の時代に作られたものかは不明。
通路の上に建物があり、地下通路として使用されていた可能性もあるとみている。
現地説明会が27日(土)午前10時から行われる。
[参考:中日新聞、毎日新聞、産経新聞]
過去の関連ニュース・情報
2010.2.19織田信長公居館跡発掘調査 「手水」のための穴と池が出土
2008.10.7織田信長公居館跡発掘調査 茶室の遺構発見か
出土場所は明治大帝像西側の広場付近。確認された通路遺構は幅約4m、長さ約10m。居館跡の中心部と推測される部分から出土した。過去の調査で遺構の南側部分でも、同じような通路が確認されており、今回の遺構に通じることから、通路の規模は少なくとも長さ35mとみられるという。
金箔瓦の小さなかけら(3cm×3cm)と花の飾り瓦の三角形のかけら(11cm×14cm)、室内装飾品の金具と見られる小さな「金片」、白磁、青磁、染め付けなどの中国磁器や瀬戸・美濃陶器、土師器、鉄砲玉などが出土した。
また、今回の調査で広場付近の土の中から火災に遭った建築廃材が見つかり、付近に建物が存在していたことが分かった。建物の建築年代は不明。
信長の居館の構造について、1569(永禄12)年に岐阜を訪れたポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは著書『日本史』に「広い石段を登ると、大きい広間に入り、前廊と歩廊がついていてまちの一部が望まれる」と記している。通路の遺構から出土した陶磁器から遺構の年代は、信長が岐阜城に入った1567年から、廃城となる1601年までのものとみられる。
金箔瓦が信長の時代に使われたものか、その後、落城するまでの他の城主の時代に作られたものかは不明。
通路の上に建物があり、地下通路として使用されていた可能性もあるとみている。
現地説明会が27日(土)午前10時から行われる。
[参考:中日新聞、毎日新聞、産経新聞]
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