歴歩

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宮城県・宮沢遺跡、鶴ノ丸遺跡 平安時代の「のろし」跡発見

2009年02月28日 | Weblog
 宮城県の宮沢遺跡(大崎市)と鶴ノ丸遺跡(栗原市)で出土した平安時代前半の遺構が、当時、通信手段とされたのろし「烽(とぶひ)」を上げた跡とみられることが分かった。
 「烽」は日本書紀に記されるなど、存在はわかっているが、実際に使われた遺構は確認されていないという。
 遺構は、直径約3~5m、深さ約1~2mのすり鉢状のくぼみで、宮沢遺跡で2基、鶴ノ丸遺跡で3基あった。いずれも見晴らしのよい丘の上にあり、8世紀末~9世紀後半ごろのものと見られている。両遺跡は、蝦夷(えみし)に対する朝廷側の拠点「城柵」やその近くにある。
[参考:読売新聞]
平安時代の「のろし」跡発見、宮城県の2遺跡から(読売新聞) - goo ニュース

 『日本書紀』 継体八年三月、伴跛、城を子呑・帯沙に築き、烽候・邸閣を置きて日本に備う。
 『日本書紀』 天智三年(664年) 是歳、對馬嶋・壹岐嶋・筑紫國等に、防(さきもり)と烽(すすみ)とを置く。又筑紫に、大堤(おほつつみ)を築(つ)きて水を貯へしむ。名けて水城と日ふ。

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