歴歩

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大津市・穴太遺跡・南滋賀遺跡 6世紀後半の古墳や建物跡などが出土

2014年08月04日 | Weblog
 大津市教委が30日、「穴太遺跡」(同市穴太1丁目)と「南滋賀遺跡」(同市南志賀3丁目)から、渡来系氏族が築いたとみられる古墳時代後期(6世紀後半)の古墳や建物跡などが相次いでみつかったと発表した。
穴太遺跡からは横穴式石室(内部の最大幅が2・4m、奥行き3・6m)が見つかった。 残った石積みの形状から、天井部が丸みを帯びたドーム状だったとみられ、大陸の影響がうかがえる。副葬品として土師器の甕1点、須恵器の高杯などが出土した。直径十数mの円墳とみられるという。
 石室の隣では、古墳時代前期のものとみられる竪穴遺構が確認された。壺、甕などの遺物が出土し、付近に集落があったことを示している。
 大津市西部の山手には南北6kmにわたって渡来系氏族の古墳群が密集し、約1千基の古墳があるとされる。今回見つかった石室は標高100m前後の場所にあり、最も低地に当たる。

 南滋賀遺跡からは9m四方の規模だったとみられる大壁建物2棟の跡が出土した。。大壁建物は、溝に柱を立て横に木を組んで、厚い土壁で塗り固めた建物で、渡来系氏族の建築技法とされる。付近からは、大陸の影響をうかがわせる土器も出土。渡来系氏族が住んでいたことを裏付けている。
 現地説明会は8月2日に行われた。
[参考:京都新聞、毎日新聞、朝日新聞、産経新聞、中日新聞]

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渡来系の集落跡確認 大津の2遺跡、発掘調査で(京都新聞) - goo ニュース
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