国立中原文化財研究所は6日、江原道江陵市の崛山寺址(굴산사서、史跡448号)に対する10ヶ年(2010~19年)研究の初年度、寺域中央部東側地域の試掘調査の結果を発表した。
調査結果、寺域南側境界と推定される東西方向の石垣塀が排水路と連結されたまま長く露出して、寺の中心部に通じる約4m幅に達する門跡2基が確認された。
西側門を通じて内部に連結される所では、薄くて平たい石をきめ細かく敷き詰めた一種の歩道施設が一定の幅で北に長く確認され、崛山寺址東側に寺刹中心区域とは区別される別途の重要な建物が存在した可能性があることがわかった。
さらに、建物跡と排水路から高麗時代土器とともに「屈山寺」と刻んだ銘文瓦をはじめとして多量の瓦片が出土した。
崛山寺は、江陵端午祭主神人の梵日国師が新羅文聖王13年(851)に嶺東地域に創建し、新羅末~高麗初に韓国仏教界を主導した九山禅門(구산선문)の一つで闍崛山門の宗刹格。今は昔の寺跡だけ残る廃寺跡になっているが、崛山寺の寺勢を見ることが出来る高さ5.4mの幢竿支柱(宝物第86号)が残っている。1936年大洪水と2002年台風「루사(ルサ)」で建物跡一部が露出して部分調査が実施されることもあった。
[参考:聨合ニュース]
備考
崛山寺は屈山寺とも書かれる。正式名は崛山寺なのだろうが、出土した瓦の銘には「屈山寺」と書かれている。
調査結果、寺域南側境界と推定される東西方向の石垣塀が排水路と連結されたまま長く露出して、寺の中心部に通じる約4m幅に達する門跡2基が確認された。
西側門を通じて内部に連結される所では、薄くて平たい石をきめ細かく敷き詰めた一種の歩道施設が一定の幅で北に長く確認され、崛山寺址東側に寺刹中心区域とは区別される別途の重要な建物が存在した可能性があることがわかった。
さらに、建物跡と排水路から高麗時代土器とともに「屈山寺」と刻んだ銘文瓦をはじめとして多量の瓦片が出土した。
崛山寺は、江陵端午祭主神人の梵日国師が新羅文聖王13年(851)に嶺東地域に創建し、新羅末~高麗初に韓国仏教界を主導した九山禅門(구산선문)の一つで闍崛山門の宗刹格。今は昔の寺跡だけ残る廃寺跡になっているが、崛山寺の寺勢を見ることが出来る高さ5.4mの幢竿支柱(宝物第86号)が残っている。1936年大洪水と2002年台風「루사(ルサ)」で建物跡一部が露出して部分調査が実施されることもあった。
[参考:聨合ニュース]
備考
崛山寺は屈山寺とも書かれる。正式名は崛山寺なのだろうが、出土した瓦の銘には「屈山寺」と書かれている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます