歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

京都市中京区・平安京左京四条三坊十四町跡 天正の地割りで埋められた濠跡?が出土

2018年08月31日 | Weblog
 関西文化財調査会(京都市上京区)が29日、駐車場建設予定地(約520㎡)である京都市中京区元法然寺町(錦小路通烏丸東入ル)の平安京跡(平安京左京四条三坊十四町)の調査で、豊臣秀吉が16世紀末に京都で行った「天正の地割り」(土地区画整理)で埋められたとみられる濠跡が出土したと発表した。
 濠跡は幅が約4m、深さは最深部で約1・7mの逆台形。東西から北西に約120度屈曲し、「へ」の字に折れ曲がる特殊な形をしていた。洛中では、碁盤の目から斜め方向にずれた堀が見つかるのは珍しい。濠の底の両端からは橋脚の礎石とみられる石も見つかった。 濠に水が流れていたが底に泥はなく、常に清掃されていたらしい。完成時期および用途は不明だが、出土した土器から16世紀末に一気に埋められたことが判明した。このため同調査会は,秀吉が天正18年(1590)に始めた天正の地割りに伴い埋められた可能性が高いとみている。今に残る町名(元法然寺町)から法然寺の関連遺構の可能性も指摘されるが、今のところ、法然寺につながる遺物はないという。
 法然寺は、鎌倉時代の武士で後に僧に転じた武将熊谷直実が浄土宗の宗祖法然を開山に、錦小路烏丸に創建したとされるが、秀吉が天正19年、南東約800mの寺町仏光寺に移転させている。
 現地説明会は9月1日(土)午前11時から正午まで開催される。
[参考:京都新聞、産経新聞、朝日新聞]

 法然寺は、建久8年(1197)5月、蓮生(れんせい、1141-1208、熊谷直実)が、父・貞直の旧地、錦小路東洞院西に法然を開山として熊谷山法然寺を建立した。その後,天正19年(1591)豊臣秀吉により、下京区寺町仏光寺に移転。昭和36年(1961年)に現在地・京都市右京区嵯峨天竜寺立石町1に移転した。


「天正の地割り」で埋めた? 平安京跡から大規模な濠跡出土


2018.9.1 訂正
 蓮生の読みは、れんせい、れんじょう、れんしょうなどいくつかあるが、「熊谷デジタルミュージアム」および「鳩居堂の歴史」より「れんせい」に訂正する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする