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若狭町・脇袋丸山塚古墳 朝鮮半島と同じ埋葬法の遺構と鰭付円筒埴輪が出土

2017年09月09日 | Weblog
 花園大(京都市)考古学研究室は8日、若狭町瓜生の脇袋丸山塚(わきぶくろまるやまづか)古墳(全長50mの(帆立貝式)古墳前方後円墳、五世紀半ばの築造)の発掘調査で、朝鮮半島で行われていた同様の埋葬方式の遺構と、中部地方以東では初めて鰭(ひれ)付円筒埴輪の破片が出土したと発表した。
 今回、前方部のほぼ中央で、木製の棺を囲んでいたとみられる川原石が埋め込まれた粘土で囲われた遺構が見つかった。地表面を掘って岩盤の空間に棺を納め、埋め戻した後、盛り土をした遺構と考えられ、当時の朝鮮半島で行われていた埋葬法と同じという。周辺の地中から鏃片3点も出土した。
 鰭付円筒埴輪は、関西地方などで出土しているが、同時期の七観山古墳(堺市)から出土した鰭付円筒埴輪と似ており、畿内との関わりが推察できる。囲形(かこいがた)埴輪の破片も見つかったがいずれも北陸地方では初の出土という。
若狭地方が大陸と畿内を結ぶ地だったことをうかがわせ、被葬者は畿内との関わりのあった人物とみられるとしている。
 現地説明会が10日午前10時と午後1時半に開かれる。
[中日新聞、朝日新聞]


過去の関連ニュース・情報
2015-08-28若狭町・藤井岡古墳
 5世紀初頭の直径約23mの円墳。甲冑形埴輪が出土 大和政権との関わりを示す。
 同古墳から約10km離れた若狭町脇袋には、古墳時代中期の上ノ塚古墳(全長100mの前方後円墳)がある。
 同様の埴輪は小浜市の太興寺古墳群(5世紀末)でも見つかっているが、今回の方が古い。
2012.9.9 脇袋丸山塚古墳の現地説明会
 従来、上下の森古墳と呼ばれていた。全長51mの帆立貝式古墳と確定。築造時期5世紀後半
2011-09-06 小浜市・丸山城址古墳
 5世紀末~6世紀初めの全長約30mの前方後円墳。前方部の横穴式石室が、玄室へ向かう通路がスロープ状に下降しており、朝鮮半島、その文化が伝わった北部九州の影響を示している。同様の例として若狭町の向山1号墳(全長約49mの前方後円墳、5世紀半ば築造)がある。 玄室は、「片袖式」。
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2009-08-25 若狭町・糠塚古墳
 若狭町脇袋の糠塚(ぬかづか)古墳と小浜市羽賀の丸山城址古墳が前方後円墳だったことを確認したと発表。大陸との交易を背景に、若狭地方の豪族が勢力を保っていたことを裏付ける資料となる。
 脇袋古墳群内の糠塚古墳は、他に4~5世紀の若狭の王クラスの前方後円墳3基(上之塚古墳:全長90m、4世紀末から5世紀前葉。中塚古墳:全長70m、5世紀前葉。西塚古墳:全長74m、5世紀後葉)がある。
 これまで円墳に見えていたが、今回の調査で全長は約60mと推定。堀が巡らされていることなど、他の若狭の王クラスの古墳と同じ特徴を持つ。築造時期は5世紀末とみられると。


キーワード: 脇袋丸山塚古墳
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