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福岡県粕屋町・糟屋官衙遺跡群阿恵遺跡 糟屋政庁跡と倉庫跡が見つかる

2014年07月16日 | Weblog
 福岡県粕屋町教委は14日、粕屋町で、飛鳥~奈良時代(700年前後)の「糟屋評(かすやのこおり)」と呼ばれる地方政庁の跡とみられる遺跡が見つかったと発表した。 律令制では地方の行政区画として「郡」が用いられたが、701年の大宝律令以前は「評」と呼ばれていた。
 同町阿恵の九大農学部付属農場の移転確認調査で町教委が昨年7月から調査を始めていた。東西300m、南北100mの範囲で、政庁跡と倉庫跡がセットで見つかり、「糟屋官衙(かんが)遺跡群阿恵(あえ)遺跡」と名付けられた。
 今年3月に政庁跡を発見した。長方形の建物(幅4・2m)4棟が1辺55mほどの「コ」の字型に配置され、その内側に建物1棟があった。
 倉庫は昨年8月に政庁跡約130m東側から、1辺4~8.5mほどの高床式の方形建物が6棟見つかり、正倉(しょうそう:税として集めていた稲穀等を収納する倉)とみられるという。
 正殿や正門は見つかっておらず、町教委は引き続き調査を行う。
 糟屋評については、698年に鋳造されて京都・妙心寺に残る鐘(国宝)に「糟屋評造舂米連広國(かすやこおりのみやつこつきしねのむらじひろくに)」の銘があることで知られている。「評造」は、当時の地方政庁の長官。「糟屋評」の文字が確認されていたが、その実在を示す発掘史料はこれまでなかった。
 『日本書紀』巻十七継体天皇二二年(戊申528)十二月の条に「筑紫君葛子恐坐父誅。獻糟屋屯倉。求贖死罪。」と、筑紫国造磐井の子・筑紫君葛子が、父の罪に連座して殺されないように糟屋の屯倉を朝廷に献上した内容であるが、「糟屋の屯倉」があったことを記している。
 現地説明会が19日午前10時から開かれる。
[参考:西日本新聞、朝日新聞、読売新聞、産経新聞]



キーワード:糟屋官衙遺跡群阿恵遺跡
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