ザ☆シュビドゥヴァーズの日記

中都会の片隅で活動する8~10人組コーラスグループ、ザ☆シュビドゥヴァーズの日常。
あと告知とか色々。

ことばのはなし

2014-06-12 23:30:01 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


ウェブのニュースで、NHKが外来語を乱用したとかで訴訟を起こしていた人の話を見ました。
そのひとは、「日本語を大切にする会」に所属してもいるらしいですね。

こういう主張をする人にとっては、「ケア」とか「ファンド」とかいった言葉は「日本語」ではなく、黒船に乗ってやってきたまがいもので、もとからあった「純粋な日本語」を駆逐してしまう危険性のあるものなのかもしれません。

ただ、一度こういう人に聞いてみたいのは、例えばわざわざ「タバコ」を「葉巻」と言ったりするのか(厳密には意味が違うが)、とか、「カレンダー」を「暦(こよみ)」と言ったりするのかといったこと(ちなみに、私の祖父は素で「暦」という)。
日本語で言えるものは全部日本語で、というふうにやっていくと、かえって煩わしいこともあると思いますがどうでしょう。

そもそも、「純粋な日本語」などといいだすとかなり大変です。
「ヤマ」とか「カワ」とかは、まぁそういえるのかもしれません。
しかし、日本語に大量に借用されている漢語は、かつては「外来語」だったはずなのに、外国語排斥運動の的になることはありません。
さらにいえば、「ウマ」が漢字音の「マ」からきているのに、これを「純粋な日本語」と信じている人も多いでしょう。

こういう、「正統な日本語を守る」という考え方は、語彙的な問題に限ったことではありません。
「ら抜き言葉は誤用だ」と信じている人(そういう人も、たいていは自分自身で使っている)、「新聞が売っている」は間違った日本語だと騒ぎたてる人(「新聞売っている」と言わなければならないらしい)、いずれも言語の使用実態から目をそらし、言語体系の中でどういう形式がどういう機能を担っているのかをかえりみないという点では同じです。


こういった話に興味のある方は、ぜひ小松英雄『日本語の歴史 青信号はなぜアオなのか』(笠間書院)他、氏の著作を読んでみてください。
特に上記のような類型に当てはまる人は、言葉に対する考え方が激変するかと思います。


それでは!