表題の件について触れる前に一言。
gooのブログでは、記事タイトルを入力するところにログが残ります。
つまり、「あ」とかタイプすると以前投稿した「あ」で始まる記事のタイトルが全部出てくるんですよね。
で、今回の記事タイトルである「オルガヌムを聴く」の「お」を入力した直後、次のような記事タイトルログがニョキっと生えてきました。
「おしりソフト」
「おっぱいが…」
なんか、ごめんなさい…。
いや、何となく謝っておきます。
気を取り直して、
こんばんは、ヨン様です。
先日少しふれたオルガヌムのCD、結局購入してしまいました。
オルガヌムというのは4度とか5度とかいった音程を中心に構成されているので、現代の音楽に慣らされた私たちが聴くと、非常にゴツゴツしたような印象を受けます。
そういった意味では「古臭い」音楽と言えるかもしれませんし、機能和声が発達する前の「未完成な」音楽なのかもしれません。
しかし、アイドルマスターの編曲を通して改めて感じましたが、4度や5度のプリミティヴな響きを機能和声に取り込むことで、よりいっそう3度とか6度とかいった和声的な音程を引き立てることができるように思うのです。特に男声合唱では歌う音域が低いので、3度の和音では濁っててしまうこともあります。経過的に4度や5度を混ぜるほうが、全体の響き自体は良くなるのです。
そこで問題になるのが、“どの”4度や5度を使うかです。同じ音程でも調整の中では機能が変わってくるので(たとえばハ長調でのミソとラドは同じ短3度ですが、役割は異なります)、4度や5度の響きも一様ではありません。
どの4度や5度が美しく響くのか(音高的にも、機能的にも)というのは、実践から学ぶしかないと思われますが、そこでオルガヌムは重要な参考になるのではないでしょうか。なにせ4度や5度ばかり出てくるわけですからね。
もちろん、現代の長音階とは旋法が異なるものがほとんどです。ただ、全く応用が利かないというわけでもありません(機能的に置き換えれば「変換」できなくもない)。
そんなわけで、ちょっと時間をかけて中世からルネサンスにかけての多声音楽の一部を聴いていこうかと思います。
一通り聴いたら、感想でも書こうかしら。
ではまた!
gooのブログでは、記事タイトルを入力するところにログが残ります。
つまり、「あ」とかタイプすると以前投稿した「あ」で始まる記事のタイトルが全部出てくるんですよね。
で、今回の記事タイトルである「オルガヌムを聴く」の「お」を入力した直後、次のような記事タイトルログがニョキっと生えてきました。
「おしりソフト」
「おっぱいが…」
なんか、ごめんなさい…。
いや、何となく謝っておきます。
気を取り直して、
こんばんは、ヨン様です。
先日少しふれたオルガヌムのCD、結局購入してしまいました。
オルガヌムというのは4度とか5度とかいった音程を中心に構成されているので、現代の音楽に慣らされた私たちが聴くと、非常にゴツゴツしたような印象を受けます。
そういった意味では「古臭い」音楽と言えるかもしれませんし、機能和声が発達する前の「未完成な」音楽なのかもしれません。
しかし、アイドルマスターの編曲を通して改めて感じましたが、4度や5度のプリミティヴな響きを機能和声に取り込むことで、よりいっそう3度とか6度とかいった和声的な音程を引き立てることができるように思うのです。特に男声合唱では歌う音域が低いので、3度の和音では濁っててしまうこともあります。経過的に4度や5度を混ぜるほうが、全体の響き自体は良くなるのです。
そこで問題になるのが、“どの”4度や5度を使うかです。同じ音程でも調整の中では機能が変わってくるので(たとえばハ長調でのミソとラドは同じ短3度ですが、役割は異なります)、4度や5度の響きも一様ではありません。
どの4度や5度が美しく響くのか(音高的にも、機能的にも)というのは、実践から学ぶしかないと思われますが、そこでオルガヌムは重要な参考になるのではないでしょうか。なにせ4度や5度ばかり出てくるわけですからね。
もちろん、現代の長音階とは旋法が異なるものがほとんどです。ただ、全く応用が利かないというわけでもありません(機能的に置き換えれば「変換」できなくもない)。
そんなわけで、ちょっと時間をかけて中世からルネサンスにかけての多声音楽の一部を聴いていこうかと思います。
一通り聴いたら、感想でも書こうかしら。
ではまた!