【チームリーダー】
Ken BOYER
言わずと知れた、クリート・ボイヤーの兄であり、
メジャーリーグ史、屈指の名三塁手である。
投手としてプロの道に足を踏み入れたボイヤーだが、
その打撃力を買われ、三塁手として
1955年、メジャーデビューを果たした。
56年、打率.306、26本塁打、98打点をマーク、
その才能を開花させ、さらに好守を連発。
瞬く間にスタン・ミュージアルに次ぐ、チームの主力打者になる。
以後、58年には打率.307、28本塁打、90打点、
60年は打率.304、32本塁打、97打点、
61年は打率.329、24本塁打、95打点..と
58年~61年まで、4年連続で打率.300、20本塁打、90打点以上を打ち、
さらに、64年まで7年連続で20本塁打、90打点以上をマーク、
6年連続オールスター出場、
ゴールドグラブも3度受賞するなど、
リーグを代表する三塁手として、その名をおおいに馳せた。
64年、ボイヤーは打率.295、24本塁打、119打点で
打点王と、シーズンMVPを獲得。
弟のクリートが在籍するヤンキースとのワールドシリーズでは、
第4戦で、劇的な逆転満塁本塁打を放つなど、
2本塁打、6打点の活躍でチームの世界一に大きな貢献を果たした。
65年、打率.260、13本塁打、75打点に終わったボイヤー、
この年を境に衰えが見え始める。
66年にメッツに移籍し、チームトップの61打点を叩きだすが、
往年の活躍ぶりからは、ほど遠く、
69年、ドジャースで現役生活にピリオドを打った。
若かりし頃、チームの顔だったミュージアルから、
練習法や、野球に対する姿勢など、多くを学んだボイヤーは、
ミュージアル引退後、師の教えをティム・マッカーバーやルー・ブロックら、
多くの後輩たちに伝授した。
怪我をおしてプレーする事もしばしばで、
何故、その怪我で毎日プレー出来るのか...とチームメイトに聞かれたボイヤーは
こう答えたという。
「俺なんかに5万ドルもの年棒を払ってくれる職場が他にあるかい??」
引退後、コーチや監督を歴任するが、
81年、ガンのため、51歳の若さで死去。
通算打率.287、282本塁打、1141打点。
信じられない事に、未だ野球殿堂入りを果たしていない。
Ken BOYER
言わずと知れた、クリート・ボイヤーの兄であり、
メジャーリーグ史、屈指の名三塁手である。
投手としてプロの道に足を踏み入れたボイヤーだが、
その打撃力を買われ、三塁手として
1955年、メジャーデビューを果たした。
56年、打率.306、26本塁打、98打点をマーク、
その才能を開花させ、さらに好守を連発。
瞬く間にスタン・ミュージアルに次ぐ、チームの主力打者になる。
以後、58年には打率.307、28本塁打、90打点、
60年は打率.304、32本塁打、97打点、
61年は打率.329、24本塁打、95打点..と
58年~61年まで、4年連続で打率.300、20本塁打、90打点以上を打ち、
さらに、64年まで7年連続で20本塁打、90打点以上をマーク、
6年連続オールスター出場、
ゴールドグラブも3度受賞するなど、
リーグを代表する三塁手として、その名をおおいに馳せた。
64年、ボイヤーは打率.295、24本塁打、119打点で
打点王と、シーズンMVPを獲得。
弟のクリートが在籍するヤンキースとのワールドシリーズでは、
第4戦で、劇的な逆転満塁本塁打を放つなど、
2本塁打、6打点の活躍でチームの世界一に大きな貢献を果たした。
65年、打率.260、13本塁打、75打点に終わったボイヤー、
この年を境に衰えが見え始める。
66年にメッツに移籍し、チームトップの61打点を叩きだすが、
往年の活躍ぶりからは、ほど遠く、
69年、ドジャースで現役生活にピリオドを打った。
若かりし頃、チームの顔だったミュージアルから、
練習法や、野球に対する姿勢など、多くを学んだボイヤーは、
ミュージアル引退後、師の教えをティム・マッカーバーやルー・ブロックら、
多くの後輩たちに伝授した。
怪我をおしてプレーする事もしばしばで、
何故、その怪我で毎日プレー出来るのか...とチームメイトに聞かれたボイヤーは
こう答えたという。
「俺なんかに5万ドルもの年棒を払ってくれる職場が他にあるかい??」
引退後、コーチや監督を歴任するが、
81年、ガンのため、51歳の若さで死去。
通算打率.287、282本塁打、1141打点。
信じられない事に、未だ野球殿堂入りを果たしていない。