GUMBO

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file.170 Andre DAWSON【アンドレ・ドーソン】

2007-03-07 | DEF
【Hawk】
Andre DAWSON

アンドレ・ドーソンは、75年ドラフト1位指名でエクスポズに入団。
メジャーに定着した77年に
打率.282、19本塁打、21盗塁の成績を残し新人王を受賞。

ゲーリー・カーターと並ぶモントリオールの若きスター選手の誕生であった。

79年に25本塁打、92打点。
80年~82年は、3年連続で打率.300以上、盗塁25以上をマークし
安定した働きを見せたドーソン。
特に81年(※)は、打率.302、24本塁打、64打点、26盗塁と
絶好調の打撃でエクスポズを牽引、カーターや、ウォーレン・クロマティらと共に
チームの地区優勝に大きく貢献した。

83年、初の30本塁打、100打点以上をクリアし、
リーグ屈指のスラッガーに成長を遂げた....かに見えたドーソンだが
84年~86年にかけては膝の怪我の影響もあって失速。
年齢も30をむかえていたドーソンは、87年、FAでカブスへ移籍する。

新天地での1年目、ドーソンは、
打率.287、49本塁打、137打点と猛打が爆発。
本塁打・打点の二冠王を獲得し、さらにMVPも受賞、
最下位チームからの受賞....という快挙であった。
以降、86年~92年まで、6年連続20本塁打以上、
4度の90打点以上をマークし、
87年4月にはサイクル・ヒットを達成するなど、
順調な選手生活を送っていたドーソンだったが、
ボストンへ移籍した93年頃から、成績が降下。
40歳になったドーソンは、地元のマーリンズで2年間プレーし
96年現役を退いた。

ウィリー・メイズやバリー・ボンズら、
史上6人しか達成していない、300本塁打ー300盗塁を記録し、
ゴールド・グラブは8度受賞。
オールスターにも8度出場したナイス・ガイのドーソン、
輝かしい実績を誇りながら、殿堂入りは果たしていない。

最も過小評価を受けている名選手の筆頭クラスであろう。

※)81年はストライキの影響で試合数が削減されております。

file.169 Billy WILLIAMS【ビリー・ウィリアムス】

2007-03-04 | VWX
【Sweet Swingin' Billy】
Billy WILLIAMS

1961年、打率.278、25本塁打の成績を残し
新人王に選ばれたウィリアムス。
以降、73年まで13年連続で
20本塁打以上、80打点以上を記録し、
アーニー・バンクスやロン・サントらと共に、カブスを牽引。
Sweet Swingin'のニック・ネームの通り、
華麗なスイングと甘いマスクで人気をはくした。
63年から70年の8年間にわたり、1117試合連続出場を果たすなど
怪我知らずの鉄人ぶりで、チームに多大な貢献を果たした。

64年、打率.312、33本塁打、98打点
65年、打率.315、34本塁打、108打点...と
2年続けて、ハイレベルな数字を残したウィリアムス。
衰えの見え始めたバンクスに代わる
チームトップの打者としてカブスの打線を支えるが、
当時のカブスは、好選手を揃えながら、
なかなか優勝出来ない.....という非運のチームであった。

70年、打率.322、42本塁打、129打点と爆発。
205安打で、最多安打をマークし、
MVP投票では2位に付ける活躍を見せる。

72年は、打率.333、37本塁打で首位打者を獲得、
MVP投票は、またしても2位に終わった。

76年、アスレチックスでその現役生活を終えるが
75年にそのアスレチックスで唯一のリーグ優勝を経験した。
が、プレーオフで敗れ去り、自身も3試合、7打席で
ヒットを打つ事は出来なかった。

87年に野球殿堂入りを果たし、
背番号26はカブスの永久欠番に指定された。

file.168 Lou BROCK【ルー・ブロック】

2007-03-02 | ABC
【黒い疾風】
Lou BROCK

1961年、カブスでメジャーデビューを果たしたブロック。
62年には123試合に出場、打率.263、9本塁打、16盗塁をマークし
外野のレギュラーの座を獲得した。
翌、61年は148試合に出場。
打率.258、9本塁打、24盗塁とパッとしない成績に終わる。

打撃成績で見るべき所も無く、守備も決して上手いとは言えない。
脚力はあるが、カブスのチームコンセプトに足は必要とされていなかった。
シカゴでは、ブロックは「使えない選手」扱いだった。

64年、ブロックに転機が訪れる。
その年、低迷していたカージナルスは、チームへのテコ入れとして
スピードのある外野手を探していた。
監督のジョニー・キーンは、ブロックに注目。
主力投手のアーニー・ブローニョを放出し、ブロックをトレードで獲得した。

「使えない選手」で、エース級のピッチャーが獲得出来た――――
カブスの選手、ファン、シカゴのマスコミは狂喜した。
反対にカージナルスは、エースのボブ・ギブソンをはじめ、
ほとんどの選手が、このトレードに批判的であった。
が、キーン監督は、「チームが決めた事だ。誰にも文句を言わせない」とブロックをかばった。
また監督はブロックに対し、「自然体で、好きなようにプレーしてくれ」
「走りたかったら、好きに走っていい。ウチの機動力野球のリーダーは君だ」と
ブロックを全面的に信頼する意向を示した。
カブスでは制約だらけの中でプレーしていたブロックにとって、
まさに鶴の一声であった。ブロックは意気に感じた。

カージナルスに移籍後のブロックはこれまでとは別人のように、打ち、走った。
この年、カブスでは.251だった打率が、カージナルスでは.348にまで跳ね上がり、
さらに盗塁も移籍後、33個を決めた。
チームはブロック加入後、勢いに乗り、見事に逆転優勝。
ワールドシリーズでもヤンキースを破り、見事、世界一に輝いた。
ブロックは、シリーズでも打率.300、5打点でチームを牽引し、
世界一に大きな貢献を果たした。

以降のブロックは、リーグを代表するスピード・スターとして球界に君臨。
8度の盗塁王に輝き、通算938盗塁を記録した。
67年には、打率.299、21本塁打、52盗塁でチームのリーグ優勝、及び、世界一大きく貢献し、
74年には、打率.306、3本塁打、118盗塁で、モーリー・ウィルスの年間盗塁記録を更新した。

また、打撃面でも8度の3割を記録するなど、通算で3023安打を放ち、190安打以上も、8度記録。
3度出場したワールドシリーズでも勝負強さを発揮、
67年、レッドソックスを破ったシリーズでは打率.414、7盗塁。
タイガースに惜敗した68年も、打率.464、7盗塁と好成績を残している。

1979年、現役を引退。
85年には殿堂入りを果たしている。

1964年、カージナルスの「馬鹿なトレード」は
今や、カブスにとっての「史上最悪のトレード」と呼ばれている。

file.167 Dwight EVANS【ドワイト・エヴァンス】

2007-03-01 | DEF
【dewey】
Dwight EVANS

カール・ヤストレムスキーに次ぐ、
レッド・ソックスでの2505試合出場を誇る名選手。

エヴァンスは、69年にレッド・ソックスに入団。
74年、133試合に出場し、打率.281、10本塁打の成績を残し
外野手のレギュラーの座を獲得する。
エヴァンスの売りは、何と言ってもその守備力であろう。
リーグ屈指の強肩の持ち主で、キャリア通算8度のゴールド・グラブに輝いている。
75年のワールド・シリーズでは、
第6戦にジョー・モーガンのホームラン級の当たりをスーパーキャッチ、
世界一は果たせなかったが、熱戦を盛り上げる一端を担った。

デビユー当初、打撃面では、あらゆるフォームを試すなど試行錯誤が続き、
いちいちパッとしない成績が続いたが、
78年、初の20本以上となる24本塁打を放ち、開眼、
長打力が身に付くと、81年には22本塁打で本塁打王を獲得。
89年まで、9年連続で20本塁打以上、3度30本塁打以上を放った。

84年、打率.295、32本塁打、104打点で初の100打点をクリア。
86年は、26本塁打、97打点でチームのリーグ優勝に貢献。
ワールドシリーズでは、惜しくもメッツに敗れ去るも
エヴァンス自身はシリーズを通じて打率.308、2本塁打、9打点と
優勝さえしていれば、MVP級の大活躍を見せた。
87年は打率.305、34本塁打、123打点の好成績を残し、
MVP投票で4位にくい込んだ。

87年から、3年連続で100打点以上をたたき出すなど、
ジム・ライスやフレッド・リンとヤズ引退後のレッド・ソックス打線を支えるが、
90年限りでレッド・ソックスを退団。
91年はオリオールズに移籍するが、この年限りで現役を退いた。
通算2446安打、385本塁打。
選球眼の良さも大きな武器で、リーグ最多四球に3回輝いている。

テッド・ウィリアムスや、カール・ヤストレムスキーに比べると
いささか地味な印象はぬぐえないものの、
レッド・ソックス史に大きな足跡を残した名外野手である。