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file.176 Frank ROBINSON【フランク・ロビンソン】

2007-03-16 | PQR
【三冠王】
Frank ROBINSON

メジャー史上唯一、ナショナル・リーグ、アメリカン・リーグの両方で
MVPを獲得している名選手である。
通算2943安打、586本塁打、1812打点をマーク。

1956年、メジャーデビューした20才のロビンソンは、
打率.290、38本塁打、83打点の大活躍で新人王を獲得。
翌57年は打率.322のハイアベレージを残し、
59年には打率.311、36本塁打、125打点....と
アーロンやメイズに比肩するスラッガーに成長。

61年には打率.323、37本塁打、124打点でチームのリーグ優勝に貢献し、
シーズンMVPを獲得する。

翌62年も打率.342、39本塁打、136打点をマーク、
MVP級の活躍を見せたロビンソンは、
56年~65年のレッズ時代、7度の30本塁打以上、
4度の100打点以上、5度の打率.3割以上を記録。
63年には、拳銃不法所持で逮捕されるという不祥事も起こすが、
リーグ屈指のスター選手の地位は揺るぎないものであった。

黒人の地位向上のための公民権運動にも深く関わっていたロビンソンは、
次第にレッズのフロントから疎ましく思われるようになる。

「ロビンソンはロートルで、衰えが見え始めている」
66年、もっともらしい理由を付けられて、ロビンソンは
アメリカン・リーグのオリオールズへトレード放出される。

このトレードは、ロビンソンを大いに発奮させた。
新たな僚友、ブルックス・ロビンソンや、ブーグ・パウエルらと共に
快打を連発し、打率.316、49本塁打、122打点で三冠王を獲得。
チームをリーグ優勝に導く大活躍でシーズンMVPに輝くと
ワールド・シリーズでも、2本塁打を放ち、
ドライスデール&コーファックスを擁するドジャースを粉砕。
世界一の美酒に酔いしれた。

69年も32本塁打、100打点をマークしたロビンソン、
70年は打率.306、25本塁打でチームをリーグ優勝に導き、
レッズと戦ったワールドシリーズでも2本塁打と活躍し
2度目のチャンピオンリングを手にした。

72年、ドジャース
73年、エンゼルスとチームを変えたロビンソン。
75年には初の黒人監督(兼選手)としてインディアンズの指揮を司った。
76年、現役を引退。
以降も、ジャイアンツや、オリオールズ、エクスポズ~ナショナルズと
監督を歴任したが、チームを優勝に導く事は出来なかった。

柔和な顔付きとは逆に、短気で血の気が多いロビンソン、
新人の頃は、相次ぐ死球攻めに遭うなど、
その選手生活は平坦なものではなかった。
監督就任時も、ピッチャーのゲイロード・ペリーから
「黒人監督よりサラリーが下回るんだったらチームを出してくれ」
.........などと最低な台詞を吐かれた事もあった。

エクスポズ~ナショナルズ監督時は、厳格な姿勢をしばしば見せ、
造反選手に見せしめとも思われるペナルティを課したり、
試合中、納得のいかないジャッジを下した審判と1分ちかくベンチ外で睨み合ったり
.........と、およそイメージとはかけ離れた顔を幾度か見せた。
マイク・ソーシア&ブレンダン・ドネリー vs ロビンソン&ホセ・ギーエンの
「パインタール」事件も、印象深い事件だった。

82年、殿堂入りを果たしている。