【アーロン、マシューズ、アドコック】
Joe ADCOK
1950年、レッズの外野手としてデビューを果たしたアドコック。
52年まで3年間、レッズに在籍していたが、
打撃面では、さしたる成果を得られず、
53年、ブレーブスへトレードで移籍し、
一塁のレギュラーを獲得する。
54年、23本塁打、87打点と、長打力が開花。
56年には、打率.291、38本塁打、103打点と好成績を残し、
エディ・マシューズ、ハンク・アーロンと共に、
ブレーブスの中軸打線を形成するようになる。
また、アドコックは、時折ド派手な活躍を見せ、
ファンに大きなインパクトを与えた。
53年には、ポロ・グラウンドのセンターの観覧席に打球を打ち込み、
57年には、エベッツ・フィールドのレフトの大観覧席にボールを叩き込む。
いずれも、『メジャー史上初』の快挙。
54年の7月31日には、1試合で5打数4本塁打、1二塁打を放つが、
1試合で18塁打は、当時のメジャー新記録であった。
58年は、怪我の影響もあり、
105試合の出場にとどまるが、19本塁打、54打点で
ブレーブスのリーグ優勝及び、世界一に貢献した。
以後、ブレーブスでは、59年~62年まで、
4年連続で25本塁打以上をマーク。
怪我に苦しみ、しばしば試合を欠場しながらも、
61年には、マシューズ、アーロンを上回る35本塁打を放つなど、
チームの看板打者の一人として活躍した。
63年からは、インディアンズ、エンゼルスとチームを移籍、
66年、38才で現役を引退した。
67年、インディアンズの監督に就任するが、
結果を残せず、1年限りで解雇されてしまった。
大学生になるまで、
野球をただの一度もプレーした事のないアドコックだったが、
通算336本塁打、1122打点の成績を残した。
Joe ADCOK
1950年、レッズの外野手としてデビューを果たしたアドコック。
52年まで3年間、レッズに在籍していたが、
打撃面では、さしたる成果を得られず、
53年、ブレーブスへトレードで移籍し、
一塁のレギュラーを獲得する。
54年、23本塁打、87打点と、長打力が開花。
56年には、打率.291、38本塁打、103打点と好成績を残し、
エディ・マシューズ、ハンク・アーロンと共に、
ブレーブスの中軸打線を形成するようになる。
また、アドコックは、時折ド派手な活躍を見せ、
ファンに大きなインパクトを与えた。
53年には、ポロ・グラウンドのセンターの観覧席に打球を打ち込み、
57年には、エベッツ・フィールドのレフトの大観覧席にボールを叩き込む。
いずれも、『メジャー史上初』の快挙。
54年の7月31日には、1試合で5打数4本塁打、1二塁打を放つが、
1試合で18塁打は、当時のメジャー新記録であった。
58年は、怪我の影響もあり、
105試合の出場にとどまるが、19本塁打、54打点で
ブレーブスのリーグ優勝及び、世界一に貢献した。
以後、ブレーブスでは、59年~62年まで、
4年連続で25本塁打以上をマーク。
怪我に苦しみ、しばしば試合を欠場しながらも、
61年には、マシューズ、アーロンを上回る35本塁打を放つなど、
チームの看板打者の一人として活躍した。
63年からは、インディアンズ、エンゼルスとチームを移籍、
66年、38才で現役を引退した。
67年、インディアンズの監督に就任するが、
結果を残せず、1年限りで解雇されてしまった。
大学生になるまで、
野球をただの一度もプレーした事のないアドコックだったが、
通算336本塁打、1122打点の成績を残した。