読書と旅行の感想記 Impression of reading and travel
テリールーム terryroom
カラオケ Karaoke

今日も出席しました。
内容は、まあこんなものでしょう。
へこたれず、続けて行こう。
教室の後に、クラスメイト3名に誘われて、カラオケへ行きました。
久しぶりで、私は3曲を歌い、1時間過ごしました、
良かったと思います。
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古文書

曾我部先生より、中世の古文書について学びました。
内容が難しくて、今日はほとんどの時間寝ていました。
こんな日もあるでしょう。
午後は、「交流祭」に展示する、我が班のパネルを作成しました。
「蒙古襲来」のパネルを作成完了しました。
写真は、その作成風景です。
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同窓会

京都タワー3Fの「べにしろ」で1次会をして、隣のビルの居酒屋で2次会をしました。
参加者は19名と多かったです。
いつもながら、このメンバーで呑むお酒は、特に美味しいものです。
来年の幹事さんが決まり、遅くまで、呑み話し、家路につきました。
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うなぎ

お昼は、「炭櫓」で、うな重を食べました。
美味かった。
写真は、今日食べた「うな重」です。
近江八幡は、景色の良いところですので、来年の話になりますが、桜の頃に、船に乗り行こうと思いました。
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両統迭立から南北朝へ

曾我部先生より、「両統迭立の時代」について学びました。
南北朝に繋がる内容でした。
*後嵯峨天皇のあと、兄弟の後深草天皇と亀山天皇が即位し、亀山院となった。
*後深草が鎌倉幕府に、院政の可能性を訴え、採用されたことから、両統迭立となった。
*両統の争点は、院政を行う権利と、王家の財産相続である。
*両統が別々の荘園群を相続してしまった、経済基盤を持った。
*後醍醐天皇は中継ぎの天皇だったが、父親の後宇多院と幕府への不満により親政を開始した。
*南北朝は、三代将軍義満により、60年で終了した。
などでした、
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「日蓮」と「禅宗」と

午前と午後、二つの講義を、若井先生より学びました。
今日の講義は、「我、日本の柱ならん、日蓮」と「禅宗と渡来僧」でした。
内容は、
「日蓮」
*日蓮は、安房の国で生まれた。
*比叡山で学んだ後、三井寺、高野山、東寺などで遊学した。
*『立正安国論』を著し、法華経だけが重要で良いという。
*当時は、浄土宗、禅宗、真言律宗が盛んであり、これを攻撃した。
*7難の内、5難はすでにあり、あと、内乱と外国の侵略がこれから起こると予言した。
*幕府に受け入れられず、伊豆に流罪、佐渡へ流罪され、赦免後、身延山に入り、60歳で死亡。
「禅宗」
*座禅の考えは、以前からあったが、禅宗では、座禅をすることだけが重要となった。
*栄西が臨済宗を起こした。
*道元が曹洞宗を起こした。
*禅宗では、浄土思想、末法思想を批判した、努力すれば結果は出る、座禅をしなさいとした。
などでした。
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呑み会 The drink night

三人は、T市美術展に応募をして、作品が入選したので、それを祝う呑み会でした。
D氏は、11月に個展をされるので、その内容についても、話をしました。
居酒屋は、お客さんが若い人が多かったので、少し騒がしかったです。
いい感じで、酔っぱらったので、帰りました。
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弘安徳政と得宗政治

木村先生より、「弘安徳政と得宗政治」を学びました。
内容は、
*鎌倉幕府の政治は、①将軍独裁政治、②北条家執権の合議政治、③北条一門の専制政治に分けられる。
*御家人で得宗一門の安達泰盛が行った「弘安徳政」の時代があった。
*安達泰盛は、得宗家の家臣の平頼綱によって滅ぼされた。
*平頼綱の専権のあと、平禅門の乱があり、北条貞時の専制政治にとなった。
などでした。
この時代の権力の推移と闘争を学びました。
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プーシキン美術館展

「プーシキン美術館展」を見てきました。
風景画が多かったです。
印象派以前の作品が多く、印象派の絵はあったのですが、少なく、印象派好きの私にとっては、今一歩という感じでした。
悪くはなかったのですが、感激するほどには至らなかった。
といっても、美術館で有名な油絵をみるのは、良いものでした。
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蒙古襲来 Attacking by Mongolia

関西大学研究所の橘先生より、「蒙古襲来と神々の戦い」を学びました。
モンゴル襲来の全体像が良く分かる、スライドも良い講義でした。
内容は、
*モンゴルの帝国拡張政策で、日本に服属を要求してきた。
*2度にわたり、侵略を図ろうとした。
*鎌倉幕府は、独裁体制を図っていた。
*文永の役では、対馬・壱岐が負けて、略奪ののち、博多で負けて撤退した、戦闘は1日で終わり、帰国した。
*弘安の役では、日本軍は十分な準備をし、博多上陸を防ぎ、台風で蒙古軍は壊滅した。
*3度目の遠征は計画されたが、実行はなかった。
*国を挙げて、異国降伏祈祷がなされた。
*弘安の役あとも、戦時体制が長く続き、御家人の財政圧迫・貧困化が幕府滅亡につながった。
などでした。
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