続・てんしん日記2022

teacapブログから引っ越しました。
花の写真、本の感想、日々のできごと等々かな。

3年経っても

2014-03-12 21:51:00 | 反原発
 2011年3月11日から3年経ってもまだまだひどい状況が改めて明らかになった昨日のたくさんの情報でしたね。
 ちょうど自彊術体操をしていて、みんなと東北の方角に向かって黙とうすることができましたが、被災された方が心安らかになる日はあるのだろうか、と思います。
 福島第1原発からは放射能や、汚染水が出続けています。その近く、あんな高濃度の場所に子どもたちを置き去りにして、安心安全などとどうして言えるのだろうかと胸が押しつぶされる思いです。

 チェルノブイリの子どもたちの保養に取り組んできた野呂美加さんによると、0.07の線量の場所に住む子どもたちに元気になってもらいたいために保養をしていると。何と我が家の中で0.09の線量が普通にあるのです。それがこの東京。東日本の状況。
 そして市の無料の食品のセシウム検査の下限は10Bq/kg。だからほとんど不検出で学校給食もオーライになるのです。で、小学校の旅行はいまでも列車を連ねての日光という。
 小平市の三田先生が岡山へ移転するという情報をネットで検索しましたら、信州大学であの菅谷現松本市長が教授で、甲状腺について厳しい授業を受けられた方だったのです。それ以外の医学部のある大学では多分甲状腺については習わないのではと。三田医院の血液検査の項目は放射線技師のそれでした。
 震災の時、日本橋周辺勤務の息子さんといち早く四国へ2週間ほど避難された方がありました。重要な情報があったということです。それを聞いた私たち職場の代表は東京が踏ん張らなくてどうする、とあきれはてていました。いまとなっては放射能にかなうものはいないのですけど。その3月15日の東京に来たというブルームは外にいるヒトだけでなく、レントゲン室奥に保管されているものすべてに感光していたとは三田先生の講演で知りました。ご自分の浴びた放射線量がかなりまずいと考えての廃院移転です。政治家も行政も誰でも、東日本の子どもたちの避難・保養を真剣に考えてほしいです。

 写真は3月20日の計画停電の自宅の様子です。この日結婚記念日を娘に祝ってもらったのでした。この停電を我慢すれば少しは状況がよくなると、甘い考えでした。