続・てんしん日記2022

teacapブログから引っ越しました。
花の写真、本の感想、日々のできごと等々かな。

山の日は

2016-08-11 23:39:00 | 反原発
 今日は、わが家発電の記念日となりました。50Wのソーラーパネルと、蓄電池と、チャージコントローラーと、インバーターを手に入れました。
 近所のエネルギーの会の方たちが組み立て方を実演して下さり、繋いだままを運んで、わが家のベランダにソーラーパネルがセットされました。なにしろ小さな電力なので、スマホの充電と、扇風機を7時間連続使用するくらいの微々たる力ですが、お日さまのエネルギーをキャッチした瞬間でした。
 停電したときに役立つとか、小さな電力を賄うとか、どっちにしてもエネルギーを節約する考え方が身に着けばいいのかなと思います。
 本を読むと電力を扱うのは難しいようでしたが、人のやり方を見ると簡単と思いました。取説読まない、読めないからかもですが……。



寒中ですね。

2015-01-23 00:20:00 | 反原発
 毎日寒さが厳しくて、一番辛い季節ともいえます。ズボンの上からさらに巻きスカートを巻きつけたりしています。マフラーもとっかえひっかえです。レグウォーマーも必ず。たまには寝る時まで。

 いいこともあります。寒仕込みのどぶろく(多分)ができたり、味噌作りにいい季節でもあります。でもフクイチ事故後、空気や水が汚れ、一体ここは安全だろうかの疑問がつきまといます。

 水槽のマグロが死んだり、動物園の大型動物が死んだりのニュースは何を物語るのでしょう。東日本のすべてのものがレントゲン室の中にいるようだとしたら、若い細胞からダメージを受けるのではの不安はいつもあります。歳だからもういいのでは?というあきらめた考え方は、周りにまだ大丈夫のサインにもなるのではと思ったり……。(写真はどぶろく?と寒中にも元気な花々)



海の日?

2014-07-21 08:15:00 | 反原発
 月曜日が休日になっているらしい、とほぼ毎日お休みになったいまごろ(正確にはパート仕事をやっていますが、マイペース)気づきました。来年から山の日もあるそうで……。
 朝のTVでいわき市の海が映って泳ぐ姿に絶句しました。フクイチの南側の海で? 危険という情報が全く届かない人々がいることに危機感が増します。国の基準の数値の設定でいかようにもでき、3年前には想像できない数値で安全とすればいいだけのことで、個々が予防原則(危険が疑われる場所、ものには近付かない)をもたないと、医療で解決できるものではないと思うのです。
 ネットの社会から途絶されているはずでもない若い人が動員されていることにも不思議です。ゲームの勝敗に夢中になっている場合なのか。現実のほうが、バーチャルの世界より超現実的世界に住んでいるのですけど、このサバイバルは私には非常に困難と思うし、知恵を出し合わなくては乗り切れないと思うのです。

 去年高線量の被ばくがあった、といまごろ発表する政府などを信用している場合ではないです。水田を耕していた人たちも、住んでいる人たちも、旅行に行った人たちもみな被ばくしたでしょう。稲のほかたくさんのものが。
 かつて「一億総○○○」と形容するのがはやったことがありました。いまは一億総被ばくと私には思えてなりません。土と海と空気と水とが汚染されたら、その隙間をどう生きていけばいいのでしょう。戦争?で火を使うと? みんな燃やしてチャラにしたいのか、理解に苦しむばかりです。

 写真は、あまりに赤い夕焼けに武蔵野線車内から携帯で追っかけて写真を撮りました。各地で赤い虹など観測された日で、その明け方に地震がありました。

 


3年経っても

2014-03-12 21:51:00 | 反原発
 2011年3月11日から3年経ってもまだまだひどい状況が改めて明らかになった昨日のたくさんの情報でしたね。
 ちょうど自彊術体操をしていて、みんなと東北の方角に向かって黙とうすることができましたが、被災された方が心安らかになる日はあるのだろうか、と思います。
 福島第1原発からは放射能や、汚染水が出続けています。その近く、あんな高濃度の場所に子どもたちを置き去りにして、安心安全などとどうして言えるのだろうかと胸が押しつぶされる思いです。

 チェルノブイリの子どもたちの保養に取り組んできた野呂美加さんによると、0.07の線量の場所に住む子どもたちに元気になってもらいたいために保養をしていると。何と我が家の中で0.09の線量が普通にあるのです。それがこの東京。東日本の状況。
 そして市の無料の食品のセシウム検査の下限は10Bq/kg。だからほとんど不検出で学校給食もオーライになるのです。で、小学校の旅行はいまでも列車を連ねての日光という。
 小平市の三田先生が岡山へ移転するという情報をネットで検索しましたら、信州大学であの菅谷現松本市長が教授で、甲状腺について厳しい授業を受けられた方だったのです。それ以外の医学部のある大学では多分甲状腺については習わないのではと。三田医院の血液検査の項目は放射線技師のそれでした。
 震災の時、日本橋周辺勤務の息子さんといち早く四国へ2週間ほど避難された方がありました。重要な情報があったということです。それを聞いた私たち職場の代表は東京が踏ん張らなくてどうする、とあきれはてていました。いまとなっては放射能にかなうものはいないのですけど。その3月15日の東京に来たというブルームは外にいるヒトだけでなく、レントゲン室奥に保管されているものすべてに感光していたとは三田先生の講演で知りました。ご自分の浴びた放射線量がかなりまずいと考えての廃院移転です。政治家も行政も誰でも、東日本の子どもたちの避難・保養を真剣に考えてほしいです。

 写真は3月20日の計画停電の自宅の様子です。この日結婚記念日を娘に祝ってもらったのでした。この停電を我慢すれば少しは状況がよくなると、甘い考えでした。


夏の思い出

2013-09-23 21:49:00 | 反原発
 福島の子どもたちの保養プロジェクトが近所であり、若いお母さんたちが熱心に取り組んでいるのに引かれ、私も1泊清里へ行ってきました。
 福島からは27人(親3人)、東京からのボランティアスタッフは27人(うち3人学生)の大所帯で、無事楽しく終えたと立派な報告書までできあがっていました。
 カンパ箱を置いたり、募金に立ったり、集会で呼び掛けたり、全額カンパで賄われたそうです。
 元気な福島の子どもたちが山梨清里高原にある羽村市の自然休暇村にやってきて、清里の自然の中で遊びまわりました。ここから行った子連れ組も含め、みんなで一緒に楽しみました。私は10歳前後のちびっこたちのあとからついてまわり元気をたくさんもらいました。もれ聞くと「外で遊ぶのは1時間」「野菜を買ってきてとお母さんに言われた」とか、、、。

 2年たっても高線量の中に置き去りにされている福島の子どもたちのことを忘れるわけにはいきません。避難できるように、疎開できるように、なんとかしたいと思わずにいられません。「オリンピックの選手村」と聞くと耳を疑ってしまいます。とてもページをめくるわけにはいかないからです。
 清里のような自然の中で成長してほしいと願わずにはいられません。

 写真はもうすぐ着くねと待っていた滝沢牧場。ここの無料のミニアスレチックで汗まみれになっていました。5時間のバスもなんのその、元気でした。もう1枚は甲斐小泉から見た八ヶ岳です。ここではジャガイモ掘りやバーベキューを楽しんだそうです。翌日は清泉寮で自然探索や木登り、トンボつり、ポプリ作りを楽しんだとのことでした。たくさんの方々が協力されての2泊3日の保養プロジェクトでした。