天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

南京事件の政府見解の二通りの解釈

2018-05-24 09:08:54 | 時事


松井石根大将の日記には次のような一文がある。


「本件に関し各部隊将兵中軍法会議の処断を受けたるもの将校以下数十名に達せり。又上海上陸以来南京占領迄に於ける我軍の戦死者は実に二万千三百余名に及ひ、傷病者の総数は約五万人を超へたり」

日本軍も南京陥落迄に大凡21300人の戦死者を出しており、決して楽な戦いではないことが良く分かる。数十名の軍法会議の処断を受ける者もいたようで、"血の気の多い"兵士が多かったのかもしれない。


たとえば"血の気の多い"の意味でさえ、
①精力的
②行動が荒々しい
と使いかたによって正反対の解釈が可能である。更にはこのように戦争犯罪を犯す者もいたことがわかり、軍規も厳格に実効していたことが伺える。

さらに南京攻略戦に於いては特別に南京攻略要領まで周到に示されていたことは言うまでもない。
軍法 は軍の刑法とも言えるが殺人は犯罪でないことと、現在の感覚と乖離させて考える必需性も生まれる。


100人の日本兵が中国軍に包囲され手榴弾などで70人の日本兵が一度に戦死するという痛ましい戦闘もあり、中国側には夏淑琴のように家族を日本軍に惨殺されたという証言者もいる。

戦後の戦争、敗戦に対する猛省は自国の被害は度外視して相手国の被害と日本軍の加害性ばかりを特筆し、まるでナチスを語らなくなったドイツのように軍国主義にまつわるほぼ全てを只々否定し、謝罪することが友好的な姿勢であると無批判に続け過ぎたのかもしれない。


当時の日本政府は中国大陸に於ける邦人保護と権益獲得の板挟みで戦争には消極的な姿勢であり、それは軍隊も同じであった。抗日テロは頻発するものの7月の盧溝橋事件も直ぐに停戦したが、通州事件、大山事件が発端となり、海軍が第二次上海事変で口火を切り、支那事変は本格化する。

8月15日には暴支膺懲声明を政府が発表し、陸軍が巻き込まれる形で突入していく。日本政府は駐留軍を守る為の増援部隊の派兵をせがまれており、抗日テロによる世論の圧力が決定打となったことは否めない。

従って国民感情は『日本軍情け無い』『何してる?』だったのであろう。

つまり、松井率いる南京攻略戦は皇軍でありながら宣戦布告のないままに余りに流動的、消極的に蒋介石の逃げ道を追い始め引きずり込まれることになる。

ここで断言しておくが、戦争でなければ侵略でもない。排外主義や差別感情などを差し引いても侵略戦争などと日本人の口から発するべきではなく、侵略戦争と判断されるような戦争は二度と繰り返さないとの認識が正しい。


日本政府の見解は下記の通り玉虫色の見解を示しており、正しい数の認定もどのような事件が発生したのかすら正確には分からないというものなのだ。




南京事件 日本政府解釈

『日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。』



これを二つの例題的解釈を示し南京事件をどのように捉えれば良いのかとのご参考にしていただければ幸いである。


A.民間人の殺害が発生したようだが、どちらの軍が殺害したことすら詳細は不明であり、略奪行為に関しても同じである。当時南京では漢奸狩りや清野作戦といった日本軍とは関係ない被害が多発しており、その被害者と判別は不可能である。

日本軍にも軍法会議による処断があったが、「部隊の軍紀風紀を厳粛にし、中国軍民をして日本軍の威武に敬仰帰服せしめ、いやしくも名誉を毀損するような行為が絶対に無いように。」の攻略要領が出されていたことからも、略奪行為、放火などは数件おきたことは否定できない。その具体的な人数すら諸説あり不明である。


B.南京入城後南京全市に於いて武装していない非戦闘員の老若男女と子供までも含む虐殺や略奪行為、強姦が発生したようである。しかしながら、その人数性別年齢、殺害方法は諸説あり、機関銃で銃殺したか、銃剣で刺したか、その人数は諸説あり政府が認定するのは困難である。