我々日本人は70年前、中国大陸を侵略し朝鮮半島を植民地支配し、南京において一般市民を百人斬りと称して大量に虐殺、731部隊によって化学兵器を開発人体実験を繰り返し、朝鮮半島から性奴隷を20万人を強制連行、
20年前の村山談話ではこれら【侵略や植民地支配で多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
また独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、
それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。
同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、
核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。
これこそ、過去に対するつぐないとなり、
犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
「杖るは信に如くは莫し」と申します。
この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。】
「」は
「よるはしんにしくはなし」
と読み
(真心を持って約束を守り
相手に対する勤めを果たす)
という意味
ご丁寧に孔子の諺まで引用し中国の顔が綻ぶ様な謝罪の談話です。
慰安婦の捏造が露呈してしまった戦後70年においても尚、日本国民は次世代の党を独善的なナショナリストとして排し、責任ある国際社会の一員として
平和の理念と民主主義を推し進めるのも結構だが何か忘れていませんか?ということです。
村山談話を踏襲すると言う政府、安倍談話が楽しみになります。
嘘をついて謝罪する事がその場では鼻も高々、眉毛もぼうぼうで嘸かし満足でありましょうが、
20年後には歴史認識として特亜のゆすり、たかりの
印籠と化すことまで予想しない愚か者と蔑まれはじめているのです。
前文の事か事実であれば、のうのうとこの日本で暮らすことすら許されないと思います。
また靖國を参拝することすら躊躇うでしょう。
そして英霊に感謝などとても出来ませんし、その行ないを顕彰することなど断じて許せません。
いかがですか?少し遠回りして逆説的になりましたが、靖国神社の顕彰は問題だと思われますか?
顕彰
個人の著名でない功績や善行などをたたえて広く世間に知らしめることをいう。
「顕彰」は「英霊」・「聖戦」の概念とともに、それぞれ重複する意味を持ちながらも核心的な要素の一つであった。
その施設として靖国神社や護国神社、忠魂碑・忠霊塔などが造られ、国民がこれらを崇敬することは一般道徳の範疇とされた。
戦前、戦中に於いて顕彰は戦力、戦闘を鼓舞する役目を果たしており
戦後において仮にも独立した国家ならばどこの国でも行われることで、旧日本軍や戦犯にその責任を取らせてしまった成り行き上の"けしからん"なのです
なにも虚構の百人斬りを千人斬りにしたり、200万人もの強制連行をしましたとの顕彰などではないのですから。
武道館で戦没者追悼式が8/15に行われますが、靖国も武道館も戦犯が含まれているのに、靖国は戦犯合祀で御親拝されないと言っておきながら、戦犯も入っている武道館には陛下が御臨席なさる。
この矛盾の正当性を持たせる為だけの靖国の顕彰の問題視、
いい加減この70年の節目で先の大戦の総括を政府は本腰を入れてやらないと孫の世代が映画にしますよ
『70年目もゼロ』
20年前の村山談話ではこれら【侵略や植民地支配で多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
また独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、
それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。
同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、
核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。
これこそ、過去に対するつぐないとなり、
犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
「杖るは信に如くは莫し」と申します。
この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。】
「」は
「よるはしんにしくはなし」
と読み
(真心を持って約束を守り
相手に対する勤めを果たす)
という意味
ご丁寧に孔子の諺まで引用し中国の顔が綻ぶ様な謝罪の談話です。
慰安婦の捏造が露呈してしまった戦後70年においても尚、日本国民は次世代の党を独善的なナショナリストとして排し、責任ある国際社会の一員として
平和の理念と民主主義を推し進めるのも結構だが何か忘れていませんか?ということです。
村山談話を踏襲すると言う政府、安倍談話が楽しみになります。
嘘をついて謝罪する事がその場では鼻も高々、眉毛もぼうぼうで嘸かし満足でありましょうが、
20年後には歴史認識として特亜のゆすり、たかりの
印籠と化すことまで予想しない愚か者と蔑まれはじめているのです。
前文の事か事実であれば、のうのうとこの日本で暮らすことすら許されないと思います。
また靖國を参拝することすら躊躇うでしょう。
そして英霊に感謝などとても出来ませんし、その行ないを顕彰することなど断じて許せません。
いかがですか?少し遠回りして逆説的になりましたが、靖国神社の顕彰は問題だと思われますか?
顕彰
個人の著名でない功績や善行などをたたえて広く世間に知らしめることをいう。
「顕彰」は「英霊」・「聖戦」の概念とともに、それぞれ重複する意味を持ちながらも核心的な要素の一つであった。
その施設として靖国神社や護国神社、忠魂碑・忠霊塔などが造られ、国民がこれらを崇敬することは一般道徳の範疇とされた。
戦前、戦中に於いて顕彰は戦力、戦闘を鼓舞する役目を果たしており
戦後において仮にも独立した国家ならばどこの国でも行われることで、旧日本軍や戦犯にその責任を取らせてしまった成り行き上の"けしからん"なのです
なにも虚構の百人斬りを千人斬りにしたり、200万人もの強制連行をしましたとの顕彰などではないのですから。
武道館で戦没者追悼式が8/15に行われますが、靖国も武道館も戦犯が含まれているのに、靖国は戦犯合祀で御親拝されないと言っておきながら、戦犯も入っている武道館には陛下が御臨席なさる。
この矛盾の正当性を持たせる為だけの靖国の顕彰の問題視、
いい加減この70年の節目で先の大戦の総括を政府は本腰を入れてやらないと孫の世代が映画にしますよ
『70年目もゼロ』
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