天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

カツラとサングラスの意味(本多勝一)

2015-01-17 19:50:44 | 歴史

南京事件日本軍の発表、敵方遺棄死体8万4千人が正しいと信じ考察すると

東京裁判判決
所謂、南京大虐殺被害数30万人は米国による広島、長崎、東京大空襲による30万人の被害数とのバランスを取るための捏造だとしか考えられない。

『岡村寧次大将資料』より

 「第四編 武漢攻略前後」

 三 戦場軍、風紀今昔の感と私の覚悟

 私は、従来書物によって日清戦争、北清事変、日露戦争当時における我軍将兵の軍、風紀森厳で神兵であったことを知らされ、日露戦争の末期には自ら小隊長として樺太の戦線に加わり、 大尉のときには青島戦に従軍し、関東軍参謀副長および第二師団長として満州に出動したが、至るところ戦場における軍、風紀は昔時と大差なく良好であったことを憶えている。

 それなのにこのたび東京で、南京攻略戦では大暴行が行われたとの噂を聞き、 それら前科のある部隊を率いて武漢攻略に任ずるのであるから大に軍、風紀の維持に努力しなければならないと覚悟し、差し当り「討蒋愛民」の訓示標語を掲げることにした、 それはわれらの目的は蒋介石の軍隊を倒滅することであって無辜の人民には仁愛を以て接すべしというに在った。

 上海に上陸して、一、二日の間に、このことに関して先遣の宮崎周一参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、抗州特務機関長萩原中佐等から聴取したところを総合すれば次のとおりであった。
一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。

一、第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。

 註 後には荷物運搬のため俘虜を同行せしめる弊も生じた。

一、上海には相当多数の俘虜を収容しているがその待遇は不良である。

一、最近捕虜となったある敵将校は、われらは日本軍に捕らえられれば殺され、退却すれば督戦者に殺されるから、ただ頑強に抵抗するだけであると云ったという。

 七月十五日正午、私は南京においてこの日から第十一軍司令官として指揮を執ることとなり、同十七日から第一線部隊巡視の途に上り、 十八日潜山に在る第六師団司令部を訪れた。着任日浅いが公正の士である同師団長稲葉中将は云う。 わが師団将兵は戦闘第一主義に徹し豪勇絶倫なるも掠奪強姦などの非行を軽視する、団結心強いが排他心も強く、配営部隊に対し配慮が薄いと云う。

 以上の諸報告により、私はますます厳格に愛民の方針を実行しようと覚悟を決めたことであった。



私はこれこそ嘘偽りのない証言であると信じる。彼が昭和41年に亡くなった後死人に口無しの状態となり中国の主張としての捏造が新たに展開されていく。
 
昭和41年中国共産党が 『文化大革命』 と称する自国民の大量虐殺を開始してすぐの、

昭和42年9月、毎日新聞と産経新聞が、10月には読売新聞が、中国共産党により 「好ましくない新聞社」 として、中国より追い出されてしまった。 

しかし、朝日新聞だけは、そのまま支社を置き続けることができたのである。

専門的な研究は洞富雄『近代戦史の謎』(人物往来社 42年)、五島広作(毎日新聞記者)と下野一霍の共著『南京作戦の真相』(東京情報社 41年)がある程度であった

(『南京作戦の真相』は、南京大虐殺の存在自体を疑う否定論としては最も早い時期に単行本として出版されたものであったが、当時この本が注目されることはなかった)。

家永三郎『太平洋戦争』(岩波書店 43年)は、軍人・記者の回想録や洞の著書を引用しながら、南京大虐殺として比較的詳細に記述している。

また、重光葵は、その著書『昭和の動乱』の中で、「南京に入城した中島師団の暴挙が主となって、南京における日本軍の乱行(南京の強姦)として、世界に宣伝せされた国際問題がその際起こって、日本の名誉は地に墜ちた。」と書いている。

本多勝一が昭和42年5月から11月にかけて朝日新聞の朝夕刊に6部に分けて連載されたベトナム戦争ルポ「戦争と民衆」

その後昭和43年に『戦場の村-ベトナム-戦争と民衆』としてまとめられて刊行された。

この路線の延長で中国で取材した旧日本軍についての連載記事(その中の1章が南京事件についての記事)を再編集した『中国の旅』

昭和46年には百人斬り『中国の旅』(のちに単行本化)でこの事件を取り上げた。このとき、本多は両少尉をA少尉、B少尉と匿名で表現し
冤罪で裁かれた事件を蒸し返した。

昭和59年10月31日付、朝日新聞は、一面の真ん中に入道雲のようにもうもうと沸きあがる煙りの写真とともに、
「これが毒ガス作戦 」 と元将校 

毒ガス写真事件
朝日新聞の「旧日本軍による毒ガス戦の決定的な証拠写真発見」旧日本軍による中国での毒ガス戦と断定した。

これに対し、産経新聞がただの煙幕との疑問を示し、後に毒ガス戦などでは無い事が確定。朝日新聞は訂正や謝罪をしていない。


去年アイリス・チャンの『レイプ・オブ・チャイナ』や「南京大虐殺」の象徴と使っていた、

橋の上を中国人老若男女が歩いていた写真を捏造写真と認めたコメントを、『週刊新潮』のグラビアページに寄せている。



本多の虚構の蒸し返しが誰の立場で誰に利する行為であるかを歴史と切り離し考察すれば、

当事者のいなくなった頃に蒸し返すことで、あやふやに裁かれた事件に捏造を加え歴史を修正していく

朝日の手法は文化大革命以後中国の手先となり、より強く、中国の国益に利するようになるのだ。

朝日の工作員本多勝一

このカツラとサングラスの変装は右翼から身を守る為の変装であり、捏造を隠す為の変装、
何よりもジャーナリストとしての自分との決別の変装だったにほかならない。

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