か『昭和天皇が第二次世界大戦のA級戦犯の靖国神社への合祀に、強い不快感を示したとされる内容が注目された』
Wikipediaの富田メモの説明である。
では何が嘘なのかをこの二人の説から解いてみたい。
長尾たかし議員ブログより
・「靖国神社は元来、国を安らかにするために奮戦して亡くなった人をまつるはずなのであって、国を危うきに至らしめたとされた人も一緒に合祀するのは異論も出るでしょう」
・「(A級戦犯合祀について先延ばしした)筑波さんのように、慎重な扱いをしておくべきだったと思いますね」
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当時の靖国神社の宮司は、
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筑波藤麿:1946年(昭和21年)1月25日 - 1978年(昭和53年)3月20日(在職中に死去)
松平永芳:1978年(昭和53年)7月1日 - 1992年(平成4年)
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と、引継がれた。「所謂A級戦犯」合祀に関して、微妙な時期である。
先の発言者は、徳川義寛元侍従長(1985年(昭和60年)10月-1988年(昭和63年)4月の期間、侍従長を務めた)である。
よってメモは徳川義寛侍従長の発言
若狭和朋氏Wikipedia
- メモが昭和天皇の発言であることについて「ちょっとタチの良くない冗談だ」という認識を示した。その理由として、メモにある昭和63年4月28日にプレスとの記者会見を昭和天皇はされておらず、その日に会見されたのは12日に退職された徳川前侍従長である。それはその記念の記者会見である。加えて、メモにある「高松薨去の時…」などと弟宮のことを昭和天皇が「薨去」と発言されるはずが無い。これは「臣下のものが宮殿下の逝去のことを『薨去』と使う」とし、このメモの内容は昭和天皇の発言ではなく「徳川前侍従長の発言」であるとしている。
富田メモの昭和天皇はA級戦犯に不快感との解釈は少なくとも嘘であることがわかる。
つまりこのメモは戦争責任の所在の解釈を曖昧にする嘘であるといえるのだ。
それは①戦争責任を天皇陛下から遠ざける。
②戦争責任をA級戦犯に固定化する。
③戦争責任だけではなく、合祀の責任として靖国神社、松平宮司だけを悪者として戦争責任を靖国神社問題にすり替える効果。
マスコミが未だに靖国神社に首相の参拝する度に中国と結託して問題視するのは戦争責任をA級戦犯に固定させるためであり、その為に国益が毀損されても構わないとする嘘であることがわかる。
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