天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

天地創造

2016-07-22 08:29:00 | 歴史


厳密にはユダヤ教のヘブライ語聖書、キリスト教の旧約聖書『創世記』における世界の創造のことだ。
1日目 暗闇がある中、神は光を作り、昼と夜が出来た。2日目 神は空(天)をつくった。
3日目 神は大地を作り、海が生まれ、地に植物をはえさせた。と、こんな具合だ。

一方日本に於いては古事記冒頭の「天地初発之時」(あめつちのはじめのとき)とあり、ここには天地がいかに創造されたかの記載はない。

日本書紀の中でも、「本文」とされる部分の他に「一書」とされる異説の部分があり、世界誕生の神話は1つに定まっていない。

ユダヤ教で「アドナイ」、キリスト教は「ゴッド」、イスラム教は「アラー」と呼ぶが、これらは全て「ヤハウェ」の事である。

日本に於いてこれら一神教の考え方が深く影響しているとは考え難い。わからない事はわからない、正直者が多く、日本に於いて西洋文明の流入に比べ宗教の影響をさほど受けていないのは鎖国の為だけではない事がザビエルの手紙を見れば瞭然とする。

当時の庶民も西欧の宗教に対して少なからず違和感を抱いていたことは以前にも述べた。

天地でさえ神が創ったとする宗教とやおよろずの神という考え方は自然現象の下にある。風の神、雷の神がいる日本では至って謙虚に膨大な自然のパワーを只管祈ることで受け入れて来たのだろう。

この謙虚さの欠落した欧米は大航海時代で侵略者となり、宗教対立で殺し合うという国家観を共有したのだろう。これは、なにも日本人が野蛮な民族ではなかった、と自画自賛しようとするものではなく、往々にして宗教観が国民性に与える影響が多少なりとも存在すると言えるのでなかろうか。

日本には現人神(あらひとがみ)という存在がある。天皇陛下である。
「この世に人間の姿で現れた神」または、
「人間でありながら、同時に神である」とも一時期は説明されたこともあるが、
「人間でありながら、神のような、神に等しいご存在」と理解されれば良いだろう。


14世紀から明治2年までの間の「内裏」、すなわち歴代天皇が居住し儀式・公務を執り行った場所
京都御所である。

城壁に比べ遥かに低い壁と跨げる程の堀は誰も御所を攻める者がいない事を表しており、権力によって日本を治めて来なかった事を物語る。

この点に於いても西欧の王族とは位も期間も異なる。ルイ125世など存在しないことでも明らかである。

つまり、少なくとも皇紀2676年間以上は男系の一系で血を繋いできた。明治期に王政復古して、
「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」
天皇個人やその一族のために国を統治するのではなく、公平に納めるという統治形態である。

連綿と続く皇室は明治期に於いてその万世一系を理由に日本の元首となったが日本を支配した訳ではない。明治期でさえ天皇は国民の中心に存在したのである。

戦後日本の象徴となった天皇陛下は憲法に元首の記載はない。不敬罪は廃止され、国民主権となり、反天連のデモは表現の自由を濫用する。
メディアは皇室典範にもある敬称を使わず、学校教育では尊敬を教えず、親しみ易い皇室などと皇室の壁をガラス張りに替えようとする。

国家神道解体とともに神道までもが宗教のカテゴリーに分類され、信教の自由の名の下に徐々に国民から引き離されていった。

鳥居をくぐり、お賽銭を入れ、柏手を打ち、御神籤をひくことが、誰も宗教行為だとは思わない。
漠然としたやおよろずの神々に感謝の気持ちと祈りを捧げることが宗教行為だとも感じない。

今、自分がこの世に生を受けここに存在することは、先祖を辿れば神々の子孫である日本人は現人神を象徴としての中心におき、そこに日本人としてのアイデンティティを見出すことは宗教行為ではなく、神道であるのだ。


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