天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

神道

2014-07-15 12:56:37 | 歴史

久米邦武は岩倉遣欧使節団に随行し、帰国後その視察の詳細を

『特命全権大使米欧回覧実記』(全100巻)

にまとめた人物で
近代歴史学の先駆者です。

この「神道ハ祭天ノ古俗ナリ」は、久米が神道について述べた論文で、

表題どおり、神道とは自然崇拝(アニミズム)に属する古くからの習俗であって、

教条的な宗教ではない、という主張でした。

神道は形ある神々を祀る宗教ではなく、東洋全体に共通する

『天を祀る思想』に基づく古い習俗に過ぎない。

「神道は宗教なんかじゃないよ、ただのアニミズムだよ」

というのはひじょうに都合の悪い真実でした。


久米は論理的な反論ではなく、「無礼だ、不敬だ」と非難され、職を追われることになったのでした。

これが「神道ハ祭天ノ古俗」筆禍事件です。

要するに日本は古来、諸外国のアニミズムとは全く異質な文化を持っていた事を述べています。

其れは天文を基本とした先祖祭りであり、その祭りの場は常に清潔な場として守られて来た

諸外国からの脅威に対抗しうる国造りに必要不可欠なもの

「国家神道」であり、国を宗教で一つにまとめる必要があったのです。

明治の王政復古によって、奈良~平安時代の律令制の官制が復活します。

当然、まったく時代に合わず、たいへんな混乱が生じました。

このときに、神祇官という官職が復活しました。

神祇官とは宗教政策を担当する役人ですが、これが意外なほど高い地位を得ることになります。

神祇官に就任したのは、国学者たちで、かれらが神道の国教化をおしすすめ、

神仏分離令を出して廃仏毀釈を主導するなど、

日本の伝統文化を著しく破壊したのでした。

制度としての神祇官はすぐに廃止されましたが、

神祇省、教部省と名前をかえて、神道の国教化は継続されました。

国教化する以上、神道は「宗教」でなくては困ります。

神道は宗教であるのか否か。これは仏教伝来以降、神道がずっとかかえてきたテーマでした。

神道にはキリストや仏陀のような教祖や教主はいませんし、

なによりも神道にはドグマ(教義、教え)がありません。

宗教と呼べるような要件をそなえていないのです。

奈良時代以降、神仏習合が進みます。そして、

神仏をともに集合するための理論として本地垂迹説が唱えられ、

その後は山王一実神道、両部神道、伊勢神道、吉田神道

といったさまざまな神道説が唱えられます。

これらの神道説は、すべて「神道を宗教の様に見せたい」

という願望によって生み出されたものでした。

さらに、江戸時代にはいると、儒家神道というのが唱えられます。

これは神仏ではなく、神道と儒教をいっしょにしようとするものでした。

仏教や儒教といっしょにしないと、神道は宗教とはよべないものだったわけです。

しかし、江戸時代後期になって、平田篤胤という国学者が登場して、

復古神道というものを唱えます。

復古神道とは、神道を仏教伝来以前の姿に戻すという主張でしたが

実際は仏教伝来以前の神道などはまさしくアニミズムにすぎないので

平田一派があれこれと創作をした珍奇な宗教になってしまいました。

平田篤胤が唱えた排他的な国学と神道が

幕末の尊皇攘夷運動の思想的背景となった関係から

明治はじめに神祇官となったものは、平田篤胤の信奉者だったといういきさつがあります。

この視野がせまく、偏狭で、教条的な神道家たちに

よって久米は職を奪われ
神道は宗教であると

確定し国家神道が確立していくのです。

さて靖國神社の生い立ちに疑いや、反対の目で捉えるのであれば

この神道を宗教としてしまったただ一点だけなのですが、

この外圧に迫られた時代に久米の様に、職や命に代えて

反対出来る人がいたのでしょうか、明治新政府に物言える人物が存在したのでしょうか

神道は宗教にあらずとして
また歴史の浅い神社であると

靖國神社を攻撃、批判出来るのでしょうか

先人の国策として人が神となる確かに我々日本人と日本を英霊となり死守してくれた

その歴史は時代や年月の問題ではなく、また宗教やアニミズムなど超越して

靖國神社として確かに存在しているのです。

政教分離などとして国家と靖國を切り離す思考は

日本人として大変愚かしい事であり日本人が日本人自らのアイデンティティーを否定する

自殺行為に等しいのです。

靖國問題などないのです。

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