「生きる目的、果たすべき目的があった。
その生きる目的を果たすために、死んでもいいという覚悟をするのです。」
何故小野田寛雄がブラジルへ移住したかをツイッターで問いかけてみました。
私の認識とほぼ同じ2名の解答を紹介します。
yakkoさん
政府より、見舞い金、その他義援金を戦友の為、靖国神社へ寄付した事を軍国主義への加担と非難され、おかしな世論との争いを避ける為。
kidrinさん
小野田さんは、一緒に戦った英霊のことを思い、お国から頂いた見舞金を全額靖国神社に奉納したにも関わら ず、軍国主義に加担したと罵られたり、作り話にうんざりし、こんな日本が嫌になった。
いかがですか?
30年間ジャングルでサバイバル生活をして戦後の日本に馴染めずブラジルへ移住した。
そんな風に思われていた方が多いのでは?
仕方がありません
小野田さんは帰国時に一時的に記者(小説家)と同居し
ゴーストライターとして
手記を執筆しています。
これが誇張されいい感じに捏造されてしまったのです。
其々皆さんでお調べになられる事をお薦めしますが私の小野田さんについて知る限りで
書かせて頂きますと
21才で入隊22才になり中野学校へ23才にはフィリピンへ派兵され上陸時攻撃にあい
散々にジャングルへ逃げて
三人で作戦遂行それから
僅か半年位で終戦となります。
30年戦争が始まります。
確か10年位でお一人仲間を失い投降する一年前位にもう一人の仲間を失われています。
51才で投降されましたが、世間との日にちの誤差が僅か6日だった事が驚きでした
最後の仲間を失い、自分の寿命を61才と決めていたことからもし投降しなかったら
61才でアメリカの通信基地に玉砕される覚悟で居られたそうです。
投降時にはフィリピン政府から射殺されるだろうと諦めもあったそうですが
前に立った二人を見て護衛していると感じ安心されたそうです。
日本が敗戦したことは知っていらしたが、あくまでもアメリカの傀儡政権で満州に政権を移していると考えていたそうです。
そんな質実剛健な小野田さんが哀れみの目で日本人から観られる
寄附金まで貰う
その事が一番耐えられなかったのだと思います。
ここで考えて貰いたいのが
小野田さんこそ今の日本人が忘れてしまった、捨ててしまった、日本人の姿である
と言う事
小野田さんではない我々日本人が可笑しな者になってしまっているのです。
その決定的なエピソードがあります。
ブラジルへ移住したのに何故
度々日本に来ていたと思いますか。
私はこれを語る度に涙が止まらなくなるのですが
日本で金属バットで親を撲殺した少年の事件を聞き
ここまで変わってしまった日本
その事を愁いて子供達を教育する為に来日されていました。捨て切れなかったのです。
この日本人としての強さと優しさ、大正男の精神性こそが取り戻さなければならない
大和魂なのではないでしょうか?