佐藤匠(tek310)の贅沢音楽貧乏生活

新潟在住の合唱指揮者・佐藤匠のブログです。

発声考~最近思うことを少し~

2007年02月10日 00時32分29秒 | 合唱

 

 昨日の話題とも重なりますが、

最近、ソロや合唱における発声について、

よく考えるようになりました。

 

 

 いつもまどろっこしいので、

今日書く内容の「結論」から書いてしまうと、

 

 

 

 

発声は重要である。

 

 

 

 

 以上です(笑)。

 

 

 

 

 否、書きます(笑)。

 

 僕は一時期、合唱における個人について、

「一人歌えなくても、合唱なら、音量がなくても、

ちゃんとした倍音を鳴らせば、ハーモニーに参加できる」、

そういう風に捉えていたことがありました。

 

 

 しかし、今となってみると、

後半はある程度正しく、前半は少し違う、そんな感じです。

 

 

 合唱における個人の重要性については、

たびたびここで書いているので、それは以前の記事をご覧下さい。

で、今日書くのは、

「何故そう思うようになったか」ということになります。

それは、合唱でない分野からの影響があります。

 

 

 演劇が好きなので、

たまに演劇を見に行きます。

演劇歴はここ3、4年くらいでしょうか。浅いですが。

で、そこに行って、毎回感じることは、

前も書きましたが、

個人が、自分の能力を最大限に使って、

何かを表現しようとすることのエネルギーです。

 

 

 本来、歌うこともそのはずなのですが、

合唱を聴いて、また、いろんな団の練習に参加して、

何か物足りないと思うことも多かったのです。

で、そこに行き着いたんですね。

 

 

 というのは、

僕は、合唱団の団員に声量を求めているわけではありません。

でも、合唱団の歌い手に対して、最近とみに思うことは、

 

 

「持っている潜在能力のうち、

どれだけを使いこなせているのか」

 

 

 ということです。

これに尽きます。

 

 

 最近、練習で、人の声を聴いて、

「もったいない」と思うことが非常に多いです。

 

「もっと声出るよ」

「もっと身体を使って」

「話す声のほうが立派じゃん」

 

 などなど、

その立派な楽器を使いこなせないばかりか、

最後に書いたように、

話す声のほうが大きく響いている、なんてことが、

結構多いのです。

歌うという行為によって、むしろ足かせを着けているかのような。

 

 

 間違えないでほしいのは、

僕は、声が出ないことを責めているのではありません。

というか、僕は、そういう人の気持ちが良く分かります。

ろくでもなく鳴らない声帯を持っていながら、

歌の道に進んでしまった自分。

そこから逃げるように、合唱にはまっていった自分。

一人で歌えないから、みんなで歌う。

才能が無いというせいにして、自分を正当化していましたね。

 

 

 でも、今思うことは、

こんな大したことのない声帯でも、

長年歌って、学び続けることで、

昔よりはましになったということです。

もちろん、これは、自分の中での比較です。

音大に受かるような方々との比較ではありません。

 

 

 ましになったというのはどういうことかというと、

無理だ、もう伸びないと思っていたことが、伸びたことです。

声量にしても、共鳴にしても、

昔はこれで限界と思っていたのが、

やり方次第で、潜在的なものを呼び起こすことが出来ることを

知ったからです。

 

 

 そう思ったとき、

今の自分が見て、

 

「まだやれる」

「やり方次第で全然伸びるはず」

 

 そう思う人が、かなりというか、ほとんどなのです。

こういう書き方はちょっと偉そうですが、

そうなのです。”アマチュア”の合唱団の指導にとって、

声楽的見地から指導をするのは、

至極当然であり、必要なことです。

そういう意味で、自分も、指揮者のはしくれなら、

歌い手の潜在的な能力を伸ばせるようにならないといけない。

というか、アマチュア合唱団の指揮者として、

そこを逃げて通ってはいけない、

それが、最近強く思うことです。

 

 

 ホントに思うんですよね。

「もったいない」って。

「そんなに細く声を出さなくたっていいのに」とか、

いろいろ思います。

でも、ふと、自分が通ってきた道を考えると、

残念ながら、歌は一朝一夕では変わりません。

落ちこぼれでも、一応専門に勉強してきて、

これだけ時間がかかったことを考えると。

というか、いつ変わるか、いつコツをつかむか分からないので、

練習や訓練という、見えない投資をし続けないといけない。

 

 

 

 でも、早くから、良い方向で、練習を積めれば、

絶対に皆伸びるはずだ、そう思います。

人によって楽器の特徴もありますが、

まさに、歌い手は、自分の楽器を

「開発」しつづけないといけません。

 

 

 それは指揮者の役割じゃない、

という人もいると思います。

確かに、ヴォイストレーナを雇えるようであれば、

それで良いと思います。

しかし、多くは、そうではありません。

特に、学校の先生は、それが一番必要なのです。

トレーナーもというか、むしろ、トレーナーをして、

歌い手の持っている能力を最大限に引き出すこと、

それが、求められるということです。

同じ時間を与えられたら、

その中で、いかに歌い手の能力を引き出せるか、

それが、優れた指揮者とそうでない人の差だと思います。

 

 

 あくまで、今日は発声についてのみ語ったので、

指揮者の必要なある一面としてお読み下さい。

ちょっと前まで、発声について、

ちょっと機械的、事務的、義務的になっていたので、

最近になって、反省しています。

じっくりと取り組み続けなければいけませんね。

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あたしも歌うときだけでなく、 (あきお)
2007-02-15 21:50:00
あたしも歌うときだけでなく、
授業中の声をもっとしっかり出したいです。

そういえば先日見たお芝居は最悪でした。
あたしも芝居した時は声が出なかったので、難しいんだろうけど・・・
女優のせりふが全然聞こえない!
グラビアアイドル出すんじゃないッ!
って感じでした。では。
返信する
 話し声は僕も相当聴き返されるので、 (tek310)
2007-02-16 23:49:56
 話し声は僕も相当聴き返されるので、
人のことは言えないです。。。

 お芝居は何のお芝居でしょうか?
新潟だと、どこでやっても、地方廻りの演劇は、結構箱(ホール)が大きいですよね。りゅーとぴあ劇場とか、新潟テルサとか。声を含む身体の訓練が必要ですね。
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