我が生涯の美味 母の想い出
今から70年前、私が4歳の時、生死の間をさまよう大病をした。
ずっと意識不明の日々だったらしい。しかし母をはじめ家族の懸命の看病のお陰でどうやら一命をを取り留めたらしく、ようやく病も峠を過ぎ、一日一日と快方に向かった。
その頃になると意識もかなりはっきりとしてきた。同時に猛烈に食欲が出てきた。
母に食べ物をせがむのだが、母は用心深く、暫くはお粥が続いた。
そんなある日、多分夏の日だったと思う。風通しの良い部屋に寝ていた私の所に仲良しのムッチャンが見舞いに来てくれた。
仲良しのムッチャンとは、私が病気になる前まではいつも組んずほぐれつして遊んでいた。その故で、どちらかの体に出来たでき物を移しあい、一人が直ったと思うと一人に移り、際限がなく、親たちを嘆かせたものである。実際その当時は幼児と出物、腫れ物はつきものであったのだ。
仲良しムッチャンが見舞いに来たというので、母はジャガイモ(多分)をすり潰し、砂糖をたっぷり入れた団子を作ってくれた。
その団子の旨かった事といったら!この世の中にこんな旨い物があったとは!
当時4才の子供にはそれをうまく表現するボキャブラリはなっかたが、まさに「我が生涯の美味」であった。母は翌年亡くなった。
「我が生涯の美味」は母の思い出につながる。幼友達のムッチャンもすでに亡い。若くして亡くなった母の寿命の分まで長生きしたいと思うのである。
今から70年前、私が4歳の時、生死の間をさまよう大病をした。
ずっと意識不明の日々だったらしい。しかし母をはじめ家族の懸命の看病のお陰でどうやら一命をを取り留めたらしく、ようやく病も峠を過ぎ、一日一日と快方に向かった。
その頃になると意識もかなりはっきりとしてきた。同時に猛烈に食欲が出てきた。
母に食べ物をせがむのだが、母は用心深く、暫くはお粥が続いた。
そんなある日、多分夏の日だったと思う。風通しの良い部屋に寝ていた私の所に仲良しのムッチャンが見舞いに来てくれた。
仲良しのムッチャンとは、私が病気になる前まではいつも組んずほぐれつして遊んでいた。その故で、どちらかの体に出来たでき物を移しあい、一人が直ったと思うと一人に移り、際限がなく、親たちを嘆かせたものである。実際その当時は幼児と出物、腫れ物はつきものであったのだ。
仲良しムッチャンが見舞いに来たというので、母はジャガイモ(多分)をすり潰し、砂糖をたっぷり入れた団子を作ってくれた。
その団子の旨かった事といったら!この世の中にこんな旨い物があったとは!
当時4才の子供にはそれをうまく表現するボキャブラリはなっかたが、まさに「我が生涯の美味」であった。母は翌年亡くなった。
「我が生涯の美味」は母の思い出につながる。幼友達のムッチャンもすでに亡い。若くして亡くなった母の寿命の分まで長生きしたいと思うのである。
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