硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

東日本大震災。

2013-03-11 17:02:39 | 日記
あれから2年経ってしまった。時間の経過が早いのか遅いのかよく分からないけれども、ニュースを観る限り「遅い」と感じている人の方が多いような気がする。

起こってしまった事、過ぎてしまった事に対して色々言うのは簡単であるけれど、思っている事を少しだけ述べておこうと思います。

まず、原発。 使い終わった核燃料の安全な処理方法が整備されないまま、安全であると謳い施設を増設していった経緯がよく分からないのですね。小さな島国だからエネルギー資源は海外に頼らざるを得ない。それに反して製造業を繁栄させていこうと思ったらエネルギーは不可欠である。原油やガスに頼っていては円はどんどん海外に流れてしまう。国内で貨幣が回らなくなる。国内でエネルギーを生産し製造部門で消費し物を作り海外に輸出し外貨を得る。そしてなるべく国内でお金を動かし経済を発展させ国民の暮らしを豊かにするには、多少のリスクを背負っても原子力は必要であったのだと思う。

誰かの計画通り暮らしは豊かになり経済は繁栄した。しかし、それはリスクに対して怠慢になる要因だったように思う。

福島原発のデザインをする際にも、予備電源を高台に設置する事にお金を掛けるより、別の処にお金を掛けた方が善いと思った人がいたのだと思う。海の近くならば浸水する可能性も視野に入れるべきだったのだろうけれど、なぜか地下に設置してしまった。

天災によってそのリスクが表面化してしまったわけですが、結果、高台に設置するよりも高くついてしまったし、放射能という見えない脅威は人を住めなくしてしまい、着地点すらも見出す事が出来なくなってしまった。

温故知新という言葉があるけれど、人は過去の出来事から何を学べばよかったのだろうか。

豊かになりたいと思う気持ちは誰にでもあるけれど、そのすべてが人間の科学力で補えるだろうという考え方は少し間違っていたのではと考えてしまう。地球は生きているけれど、私達はその構造や動きのすべてを理解していない。それは科学力で補えなえていないということではないだろうか。どこか甘く見ているとこんな風に悲劇が生まれるのではとも感じてしまうのです。

お金は大切です。多ければ多いほど気持ちにゆとりができる。現在、円安が進み株価が上向いている。経済活性させれば、被災地に回すお金も増えるだろう。その為にはエネルギーを確保せねばならない。原油やガスに頼っては円が外に流れてしまう。これだけは何としても避けなければならないという気持ちも分かる。でも、このロジックは振り出しに戻してしまう事になる。

そして、経済が上向けば、必ず横着をする人が出現し、誠実に事を進める事よりリスクを先送りし私腹を肥やす事に目を向けるだろう。そして同じような事が繰り返されてゆく気がするのです。

これは、どんな規制を掛けても避けられないと思う。何故ならそれが人間であるように思うからです。

どうすればいいのか。僕にはわかりません。

寺田虎彦さんの言葉を最後に記して閉じたいと思います。

文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を充分に自覚して、そして平生からそれに対する防御策を講じなければならないはずであるのに、それがいっこうにできていないのはどういうわけであるか。そのおもなる原因は、畢竟そういう天災がきわめてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前車の顚覆を忘れたころにそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。