硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

博打で勝てるのは運と才能の持ち主である。

2013-03-17 16:39:00 | 日記
博打とはトンと縁がない。パチンコも年一回であるし、競輪や競馬もしない。マージャンもルールを覚える前に興味が無くなってしまった。

年一回のパチンコも一万円と言う上限を設けてその年の自分の「運」を見るのであるけれど、勝ったためしがない。
確かに換金するときには「もう一度試してみるか」という欲もでてくるし、もっと泡銭を稼ぎたいという気持ちにもなるけれど、僕にはどうも、博打における引き(運)と才能がないので早々に忘れてしまう。

しかし、宝くじは春と夏と年末に購入している。宝くじは本当に運だけであるから、その可能性を信じてとりあえず買っておく。でも、当たったためしがない。その度に来シーズンは止めておこうかな思うのだけれど、CMで流れると「とりあえずエントリーしておくか」「外れても誰かの何かの為になる基金だから」と自身に言い訳し購入してしまう。

そして、少しだけ当たった時の事を考えるのであるけれど、妄想だけで終わってしまう。

そんな僕がコンビニで買い物をしていた時、ふと目に留まったのが「toto BIG」の広告であった。

「これは、何かのお告げかも。」と勘違いし、機械の前で購入手続きを読みおそるおそるパネルを押しつつ購入してみた。
機械操作に疎いけれど、以外と購入しやすい事に気づく。

実は、サッカーはあまり興味がない。僕は球技音痴なので、プレイヤーの技術等に惹かれるのだけれど、いざ自分でボールを蹴ると大変かっこ悪いのでほとんどしたことがない。サッカーとはそれくらいの距離である。

しかし、このくじも(運)がすべてである。上限を千円としたけれど(運)があれば、六億円である。

結果はインターネットで見れるというから、チェックしてみるとやっぱり外れている。運がないのである。

しかし、もう少し多く購入していれば当たった可能性だって生まれる。そう考えると「その時に適切な金額を投資出来る事が、運を引き寄せる事につながる」のかもと考えると、やはり博打は運と才能がセットになっていないと勝てないのかもしれません。

そのどちらも有していない僕にとっては「博打に手を出さない」事が最善であるという結論に至るのかもしれません。

パスカルはいいます。

「賭けをする者は、不確実な儲けの為に確かなものを賭けるのである。」