『ミクロの決死圏』(66)(2010.8.15.TOHOシネマズ六本木ヒルズ「午前十時の映画祭」)
脳に障害を負った科学者を治療するべく、科学者グループがミクロに縮小されて科学者の体に入る。1974年「水曜ロードショー」での初見以来、何度かテレビでは見ているが、この映画は一度映画館で見たかった。今から40年も前の映画だが、ミクロ化して人体に入ることはいまだにSFの世界だ。今なら全編がCG、へたをすれば3Dで作られるのだろうが、今となっては、この映画のチープな特撮が、かえって手作りの良さを感じさせてくれる。
監督はリチャード・フライシャー。父親が有名なアニメーターのマックス・フライシャーだからか、この映画は、どこかアニメっぽいところもある。シュールな体内のデザインはサルバトーレ・ダリが関係しているらしいが、実は手塚治虫の漫画からアイデアを頂いたという説もある。
俳優も、スティーブン・ボイド、アーサー・ケネディ、ドナルド・プリーゼンス、エドモンド・オブライエンなどクセ者揃いで楽しい。こういうタイプの俳優たちも今はいないなあ。紅一点は当時のグラマー女優ラクエル・ウエルチ。ぴちぴちのボディースーツ、着替え、藻を取るために彼女に触りまくる男たちなどのシーンは、男性向けのサービスだったとも思われる。
後に、この映画をコメディー化したような『インナースペース』(87)が作られたが、この映画の中に「インナースペース(抜け出せない泥沼)」がというセリフあったことに今回初めて気づいた。そうか、両作はそこでつながるのか。
ところで、『トラ・トラ・トラ』(70)で監督を解任された黒澤明は、アメリカ側の監督のフライシャーのことを「ミクロ野郎」と呼んでいたという。これはちょっと悲しい話だ。
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