『ハスラー2』(86)(1987.1.29.日劇プラザ)
前作『ハスラー』(61)から25年後の続編。これは『サイコ』(60)から『サイコ2』(83)の23年を超えて、続編が作られるまでの期間の新記録とのこと。25年といえば、今の自分と同じ年なわけだから、これは両作に大きな違いがあっても当然のことだ。
何より、この続編には色がある(原題も「ザ・カラー・オブ・マネー」)。前作はモノクロで撮られたことで、時代背景となった60年代前半独特の暗さや、たばこの煙と酒のにおいがしみ込んだビリヤード場の雰囲気を出すことに成功していたし、何より、ビリヤードを職業とするハスラー自体が、日陰者の存在だった。
だから、主人公のエディ・フェルソン(ポール・ニューマン)とミネソタ・ファッツ(ジャッキー・グリーソン)が繰り広げる競技としての面白さもさることながら、むしろ、悲しみを感じさせる人間ドラマとしての印象の方が強く残ったのだ。
ところが、この続編は、動き回るカメラでナインボールのカラフルさが強調され、トム・クルーズ演じる新人類的なハスラー・ビンセントには挫折も暗さもなく、ひたすらかっこいい若者として描かれている。
そして、このビンセントと、老いて一度はビリヤードから離れたエディの対比が、嫌でも25年という歳月の長さを感じさせ、それがこの映画が語るテーマの一つとして浮かび上がってくる。
とはいえ、自分はエディによって体現された、年を取っても変わらない男としての自負やプライド、衰えを感じながらも、自らを貫く意地や業の方に強く魅かれた。これはハスラーとビリヤードとの関係というよりも、人間の宿命と言った方がいいのかもしれない。
このところ『キング・オブ・コメディ』(83)『アフター・アワーズ』(85)と不調が続いたマーティン・スコセッシだが、前作とは違ったアプローチから、現代風なものも取り入れながら、こうしたことを感じさせてくれた。その復活がうれしかったし、ニューマンは、もはや神話の域に達したと言っても過言ではない俳優になったような気がした。
【今の一言】25歳の時に書いた一文。“新人類”なんて言葉が出てくるところに時代を感じる。ニューマンはこの映画の演技によって、7回目のノミネートで、ついにアカデミー主演男優賞に輝いた。
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