『夜叉』(85)(1988.5.14. ゴールデン洋画劇場)
いつまで耐える健さん
またもや耐える健さんである。そして、この映画の主人公は高倉健という一人の俳優のイメージを語るには最適と言ってもいいだろう。なぜなら、東映仁侠映画で全盛を極めた健さんは、その後 『八甲田山』(77)『幸福の黄色いハンカチ』(77)『遙かなる山の呼び声』(80)などで何とかそのイメージから脱皮しようと試みはしたのだが、そこには相変わらず耐え忍ぶ姿が映され、その奥にわれわれ見る側はどうしても昔のイメージを重ね合わせて見てしまうのは残念ながら否めない。
それはいつまでもそうしたイメージを引きずった映画を彼にやらせる製作者側が悪いのか、あるいはどうしてもそうした役柄を選んでしまう健さんが悪いのか. いいかげん見る側も耐える健さんの姿は見ていて重苦しく、正直言ってもう結構という気さえする。
だから、この映画のやくざから抜け切れない主人公の修治も高倉健という一人の俳優のイメージとして何の違和感もなく決まり切ったものとして映ってしまう。これはあまりにも過去のイメージが強過ぎたための悲劇としか言い様がない。
ところが、同様のケースとして見事に過去のイメージを打破した俳優の存在がある。その名はショーン・コネリー、彼とて007=ジェームズ・ボンドとしてのイメージがあまりにも強く、それを打破するのは並大抵のことではなかったと想像するのは難しくない。
だが、今や彼はジェームズ・ボンドというイメージから完全に脱皮し、さまざまな役柄がこなせる一流の俳優として成功し、逆に自分がかつてジェームス・ボンドとして存在していたことを重荷としてではなく、むしろ余裕を持って生きているようでさえある。
欧米の映画事情と日本の映画界を同じ土俵の上で考えるのには無理があるとしても、いいかげんたまには違った健さんを見てみたいと思うのは自分だけだろうか。彼にコメディをやらせたら意外にいい味を出すのでは、などと思っているのだが、どうやら最新作『海へ ~See you~』(88)も又々耐える健さんであるらしい、何とももったいない気がするのだが。
ところで、この映画で光っていたのは何と言っても小林稔侍だった。最近では珍しくなった脇役からの叩き上げの魅力を持った人で、シリアスからコメディまで幅広い役柄がこなせ、キラリと光るものを毎回見せてくれる。その点では健さんと好対照だなあ。
また、映画内の主人公の刺青で子どもの頃に世話になったテキ屋の親分・虎さんのことを思い出した。世が世ならやくざの大親分になれた人だったらしいのだが、何の間違いか落ちぶれて、子どもの印象では、年中酔っぱらっているけれど、縁日の時は露店の何かを食べさせてくれるちょっと恐いけれど気のいい近所のおじさんだった。
ところが、その人の本来の姿を銭湯で何度か会った時に知らされた。それが背中から腕一面に彫られた般若の刺青であり、湯で色付いたそれは怖いというよりむしろ美しく見え、「ああこの人は俺たちとは違った世界の人だったんだなあ」と改めて感じたことを覚えている。その虎さんも今は生死のほども分からない、何やら悲しいものがある。
【今の一言】結局健さんはこの後もイメージを崩すことなく、俳優人生を全うした。このメモではいしだのことは全く触れていないが演じたのは修治の妻の冬子役だった。また、ビートたけしが印象的な役で出ていたが、「オレたちひょうきん族」のコーナードラマで、この映画のパロディの「おいで夜ッ叉」をやったのを覚えている。
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