田中雄二の「映画の王様」

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『砂の器』の映画と原作の間 その1

2018-08-02 10:47:06 | 映画いろいろ
 脚本を書いた橋本忍と和賀英良を演じた加藤剛が相次いで亡くなったこともあり、『砂の器』(74)を再見してみた。



 松本清張の原作と映画とでは随分と設定が異なる。その最たるものは、原作ではほんのわずかした描かれない、巡礼親子の旅を拡大し、後半のクライマックスの一部として描いたところにある。

 橋本と共に脚本を書いた山田洋次は自著『映画をつくる』の中で、「原作の『福井県の田舎を去ってからどうやってこの親子が島根県までたどり着いたかは、この親子二人にしかわからない』と書いてあるところに赤線が引かれていて、橋本さんが『山田君ここだぞこの映画は』と言った」と書いている。

 また、橋本は「この映画の後半のヒントは人形浄瑠璃にある」とも語っていた。人形浄瑠璃は、浄瑠璃語り(太夫)が独特の節回しで浄瑠璃を語り、それに寄り添うように三味線が弾かれ、その心情を絵に表すように人形が動くという芝居。

 これを『砂の器』に当てはめると、浄瑠璃語りは捜査会議で事件について思い入れたっぷりに語る、丹波哲郎演じる今西刑事、三味線は和賀が指揮する「宿命」で、セリフを一言も発することなく、旅を続ける巡礼親子の姿が人形、ということになるらしい。いやはや驚くべき改変だが、清張は「原作を超えた映画」と語っていたという。

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