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『ジュラシック・パーク』

2021-09-04 11:08:30 | 映画いろいろ

『ジュラシック・パーク』(93)(1993.7.27.日本劇場)

 去年の夏、マイケル・クライトンによる実に面白い小説を読み終えた際に、スピルバーグが映画化すると知って、このところ『オールウェイズ』(89)『フック』(91)と不振が続いた彼にとっては、起死回生の一発となるか、と思ったものだ。

 あれから1年、ついにその実体を見て、アニメーションでもコマ撮りでも、ましてや着ぐるみでもない、CGによる恐竜たちのリアルな姿には大いに驚かされた。

 ところが、それと同時に、スピルバーグの監督作で、この映画ほど彼自身の影が薄い映画はかつてなかったのではないかと感じた。つまり、良くも悪くもクライトンの原作を超えてはいなかったと思ったのである。

 思うに、スピルバーグという映画監督は、動物を扱ったベストセラーの原作を持った『ジョーズ』(75)や、『未知との遭遇』(77)『E.T.』(82)といったSFをものにし、『インディ・ジョーンズ』シリーズのようなアクション派としての顔もあり、非現実的な話の中に、きちんと現実的な描写も入れ込められる人なので、最もこの映画の監督にふさわしかったと思われがちである。

 だが、実は彼の真骨頂は、“未知の単体”と相対した時にこそ発揮されると思う。例えば、実質的なデビュー作である『激突!』(71)は一台のタンクローリー、『ジョーズ』は一匹のサメ、『未知との遭遇』は一機のマザーシップ、『E.T.』は一人の宇宙人、そしてインディ・ジョーンズという一人のヒーローといった具合に。

 ところが、この映画には複数の恐竜が入り混じることで焦点が分散し、対する人間たちの描写も弱い(何しろ主役は恐竜なのだから…)。となると、もともとスピルバーグの真価が発揮されるべき題材ではなかったのではないかと思うのだ。

 だから、この映画におけるティラノザウルスやヴェラキラプトラといった、おぞましくも魅力的な恐竜が、単体か一種で登場してきたら、その時こそ彼の真価が発揮されたのではないかと思う。

 ただ、この映画の場合は、あまりにも原作が巨大で面白かったから、スピルバーグにしてもそれを大幅に変えるわけにもいかず、結局はそれをなぞって、最新のSFXを使ってリアルに再現するだけにとどまらざるを得なかったのかもしれない。  

 こんなふうに感じるのは、彼の映画に対する期待が強過ぎるからなのか。この程度で満足して、もろ手を挙げて褒めるべきなのだろうか。

 というわけで、『ジョーズ』を再見してみた。この映画を見ると、改めて未知の単体と相対した時のスピルバーグのすごさを感じると同時に、やはり群れの映画だった『ジュラシック・パーク』は彼向きではなかったのでは、と感じた。

 また。日常の中に非日常を取り込んでしまううまさという点では、この映画の場合は、巨大なジョーズの存在と、相対する西部劇的なキャラクターの3人の男たちの姿が非日常で、マーレー・ハミルトン演じる市長の姿が現実を反映する。その対比も見事だ。

【今の一言】約30年前の記事。我ながら、我田引水というか、随分とこじつけがましいことを書いていると思う。この時点では、まさか最近の『ジュラシック・ワールド/炎の王国』(18)までシリーズが続くとは思いもしなかった。

 


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