田中雄二の「映画の王様」

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『結婚哲学』『生きるべきか死ぬべきか』

2019-04-23 12:08:24 | 映画いろいろ
『結婚哲学』(24)『生きるべきか死ぬべきか』(42)(1993.6.)



 最近、ビデオの発売や一部の劇場での上映によって改めて見直されているエルンスト・ルビッチの映画。ただ、蓮實重彦氏が、ルビッチを持ち上げたいばかりにビリー・ワイルダーを貶めたり(彼のいつもの手だ)、リアルタイムではルビッチを見ていないはずの彼の一派が尻馬に乗って「昔からルビッチは…」などと訳知り顔で語る風潮には腹が立つ。

 『結婚哲学』は、離婚を考えている倦怠期の夫婦と相思相愛のカップルが入り乱れて繰り広げる悲喜劇で、それまではドタバタが主流だったサイレントコメディに、ヨーロッパ的な倦怠や退廃を持ち込んだ傑作とされるが、ルビッチはチャップリンの『巴里の女性』(23)に感化されて、この映画を撮ったとのこと。

 『生きるべきか死ぬべきか』は、第二次大戦直前のワルシャワを舞台に、「ハムレット」で主役を演じる夫妻が、ポーランドを救うために、ナチスのスパイを相手に大芝居を打つという、ルビッチが故国・ドイツを皮肉った風刺コメディの傑作で、“幻の”キャロル・ロンバードの存在感の大きさも教えてくれるが、これも、同じくナチス=ヒトラーを強烈に皮肉ったチャップリンの『独裁者』(40)の方が先に作られている。

 随分と変な言い方になったが、これは決してルビッチが嫌いだからとか、彼の映画がつまらなかったから、というわけではない。むしろとても面白い映画が見られてうれしいのに、妙な輩の声が水を差すからちょっと嫌味を言ってみたのである。

 蓮實氏のような、誰かを持ち上げたいために他の誰かを貶めるという手法はとても便利だが、それは誤解を生じさせるばかりでなくとても醜い、と自戒の意味も込めて思うのだ。例えば、この場合は「ルビッチもワイルダーもチャップリンも、互いに影響し合って、皆が素晴らしい映画を遺してくれた」でいいではないか。これからはそういう言い方をしませんか蓮實さん。

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