『「桐島です」』(2025.5.10.オンライン試写)
1970年代、高度経済成長の裏で社会不安が渦巻く日本。大学生の桐島聡(毎熊克哉)と宇賀神寿一(奥野瑛太)らは反日武装戦線の活動に共鳴し、組織と行動を共にするようになる。だが、一連の連続企業爆破事件で犠牲者を出したことで、桐島は深い葛藤にさいなまれる。一方組織は警察当局の捜査によって壊滅状態となる。
指名手配された桐島は、宇賀神と別れて偽名を使って逃亡し、やがて工務店で住み込みの職を得る。ようやく手にした静かな生活の中で、ライブハウスで知り合った歌手キーナ(北香那)が歌う「時代おくれ」に心を動かされ、相思相愛の仲となるが…。
2024年1月、末期がんのため神奈川県内の病院に入院していることが判明した桐島は「最期は本名で迎えたい」と素性を明かし、大きく報道されたがその直後に死去した。数奇な道のりを歩んだ桐島の軌跡を、高橋伴明監督が映画化した。
一連の連続企業爆破事件があった頃、中学生だった自分にとっての桐島のイメージは、実際はテロリストで逃亡犯だったにもかかわらず、指名手配ポスターの笑顔の顔写真と、しでかしたこととのギャップに対する違和感だった。
ただ、彼が、どういう人物だったのかというのは結局誰にも分からないし、逃亡中に彼が何を考えどういう生活を送っていたのかも想像するしかない。だから当然、梶原阿貴と高橋監督による脚本に書かれたフィクションの部分がこの映画の大半を占める。
また、桐島は逃げ切ったのに、なぜ最期にわざわざ自分の本名を名乗ったのかという謎についての解釈も示さない。それについても見る側の想像に任せている。つまり桐島がどういう人物だったのかを説明するのではなく想像させるところにこの映画の真骨頂があるのだ。
この謎だらけの人物について、20代から70歳までを演じ切った毎熊は「演じる上でその人がどういうものを好きだったのかを知るのは大きいし、人格や性格を表すときにそういうものがヒントになった」と語っていた。
事実、組織に入る前の桐島が彼女と一緒に映画『追憶』(73)を見た後でふられるシーンがあり、後半では、知り合った歌手と別れて河島英五の歌で有名な「時代おくれ」を一人で歌うシーンがある。どちらも桐島の甘さやロマンチストとしての一面がよく出ている。
毎熊は高橋監督の映画の魅力について「ドライに淡々と進んでいって、そのどこかにロマンが見え隠れするところ」だと語るが、確かにこの映画には、桐島とは世代的に近い高橋監督の桐島への感傷や共感が見え隠れするところがある。その意味では、桐島の行動への賛否は別にして、70年代の青春像の一つを描いた映画だと言えるのかもしれない。
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