田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『雨あがる』

2020-04-06 11:36:37 | 映画いろいろ

『雨あがる』(00)(2000.2.渋谷エルミタージュ)

 武芸の達人だが、不器用でお人よしの三沢伊兵衛(寺尾聰)は仕官が決まらず、妻たよ(宮崎美子)と共に旅を続けていた。ある日、伊兵衛は、侍同士の果たし合いを仲裁するが、それを見た藩主(三船史郎)が、剣術の指南役として城に迎えたいと申し出る…。

 山本周五郎の短編小説を基に、黒澤明が書いた脚本を、いわゆる黒澤組のスタッフ、キャストが映画化。長く黒澤の助監督を務めた小泉堯史の映画監督デビュー作だけあって、黒澤タッチを思わせるところが端々に見られるのだが、やはり「黒澤が撮ったら…」と思ってしまうところが多々あった。この映画に関しては、黒澤ゆかりの人たちが、彼の心残りを晴らしてあげたものという印象が強い。

 黒澤の映画は、その力強さだけが強調されがちだが、彼本人は周五郎の、あまり強くない者を主人公にしたものがお気に入りだったという。黒澤は、強い人間ばかりでなく、周五郎が描くような弱さやはかなさを持った市井の人々をもっと描きたかったのかもしれない。

 藩主を演じた三船史郎が、父の敏郎をほうふつとさせるような押し出しの強い演技を披露したのには驚いた。

『雨あがる 映画化作品集』(山本周五郎)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/a30985ad644c3a249926ca17bbf45979

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「刑事コロンボ 殺人処方箋」「構想の死角」

2020-04-06 09:55:02 | 映画いろいろ

「刑事コロンボ 殺人処方箋」(68)

 シリーズ製作前に単発ドラマとして作られた「コロンボ」を初めて見た。ストーリーは、精神科医フレミング(ジーン・バリー)が、愛人の女優(キャスリン・ジャスティス)と組んで行った妻(ニナ・フォック)殺しを、コロンボ(ピーター・フォーク)が暴く、というもの。

 おなじみのヘンリー・マンシーニではなく、デーブ・グルーシン作曲のテーマ曲が流れる前衛的なタイトルバックで始まる。元々は舞台劇なので、会話が多く、フレミングがコロンボの心理分析をして本性を暴く、という興味深い場面もあった。フォーク演じるコロンボには愛嬌がなく、よれよれのコートではない服装も含めて、シリーズ化された時とはだいぶイメージが違って見えた。

 図らずも、同日放送された『男はつらいよ』第一作を見たが、ここでの寅さんの服装も、おなじみのチェックのジャケット、ダボシャツ、腹巻きスタイルではない。まあ、どちらも最初からシリーズ化を見越して作られたわけではないから、違っていても当然なのだが、今となっては最初の服装の方が妙に見えるのだから不思議なものだ。

 さて、このドラマの後、コロンボは、パイロット版の「死者の身代金」(71)を経て、スティーブン・スピルバーグが監督し、二人一組のミステリー作家(ジャック・キャシディ)が、相方(マーティン・ミルナー)を殺す様子を描いたシリーズ第一作「構想の死角」へとつながっていく。

「刑事コロンボ 構想の死角」(71)(1987.9.25.)

 このシリーズは、最初に犯人や犯行の経緯をばらしてしまう、いわゆる倒叙法を用いているから、後はコロンボがどう犯人を追い詰めていくかが見どころとなる。しかも、犯人は必ず最後にはコロンボとの腹の探り合いに敗れる。だから、どんなに巧みに完全犯罪を試みても、結局は「殺人は割に合わない」というところに落着する。

 そのパターンの中で、スピルバーグがどう個性を発揮したのか、というところに興味があったのだが、これといった新味はなく、こうしたテレビムービーでの経験が、後の映画監督としての活動に生きたことを想像させるにとどまった。

 最初にコロンボを見たのは、NHKで連続放送された中学生の頃。ストーリーが面白くて何本か見たが、こうして改めて見直してみると、コロンボのしつこさや、慇懃無礼な態度に嫌悪感を抱いてしまい、ストーリーの面白さが吹っ飛んでしまうことに気付いた。

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