中華街→元町→外国人墓地→アメリカ山公園→山手資料館→ゲーテ座跡→港の見える丘公園→フランス山(領事館跡)→山下公園→関内(喫茶大学院)というコース。
山手資料館では、1862年に居留外国人向けの雑誌『ジャパン・パンチ』を創刊し、風刺漫画と文章を描いたチャールズ・ワーグマンについての資料を見ることができた。そのほか、外国人墓地に葬られた、鉄道技術主任のエドモンド・モレル、フェリス女学院を創設したメアリー・キダー、ビールのウィリアム・コープランドらについての情報もあった。
また、近くには、1870年(明治3年)に、オランダ人のノールトフーク・ヘフトが居留地に建てた日本初の本格的演劇場ゲーテ座の跡もあった。
内藤誠の『ヘボン博士のカクテル・パーティ』(講談社)によると、ゲーテ座では、1919(大正8)年のジョン・フォード監督の『恋の投縄』(19)『荒馬』(?)から本格的に映画も上映し始め、谷崎潤一郎は『アベ・マリア』という小説の中で、ゲーテ座でセシル・B・デミル監督の『アナトール』(21)を見たことについて記しているという。
横浜の山手近辺でロケされた映画は数多くあり、『かながわシネマ風土記』(丸岡澄夫)に詳しく載っているが、その中でも、成瀬巳喜男監督の『ひき逃げ』(66)、降旗康夫監督の『冬の華』(78)で健さんがこの辺りを歩くシーンや、黒澤明監督の『天国と地獄』(63)で竹内(山崎努)が山下公園をうろつくシーンが特に印象に残っている。
そういえば、「丘を登れば外人墓地あたり」という歌があったと思って、調べてみたら「長崎慕情」(作詞:林春生、作曲:ザ・ベンチャーズ、歌:渚ゆう子)で、全く関係なかった。