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映画の王様

映画のことなら何でも書く

1972年「鉄道開業100年」2

2022-10-09 09:34:57 | 雄二旅日記

鉄道100年記念切手 交通博物館の下敷き


72年当時の特急など(*はエル特急)。

撮影地:東京
特急さくら(東京→長崎・佐世保)
特急はやぶさ(東京→熊本)東京
特急あさかぜ(東京→下関・博多)


撮影地:上野
*特急つばさ(上野→秋田)
*特急あさま(上野→長野)
*特急ひたち(上野→仙台)
*特急ひばり(上野→仙台)
*特急やまびこ(上野→盛岡)
*特急やまばと(上野→山形)


撮影地:錦糸町
*特急さざなみ(新宿→館山)
*特急わかしお(東京→安房鴨川)
急行みさき(外房線)
急行なぎさ(内房線)

撮影地:新宿
*特急あずさ(新宿→松本)
急行水郷(新宿→銚子)


蒸気機関車 SL

鉄道100年記念 C57-7(汐留~東横浜) 
新橋駅前 C-11-292(現SL広場)
戸越公園 C-12-7


青梅鉄道公園
「110」「5540」「2221」「9608」「8620」「C-11-1」「E10-2」「C51-5」「D51-452」


都電
秋葉原
上野広小路(花電車)
玉電(多摩川園)


東急50年記念乗車券(東京急行電鉄)
鉄道開業100年記念乗車券(伊豆箱根鉄道)


池上線(荏原中延付近)を家の物干し台から撮影。今は駅も線路も地下に潜っている。

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1972年「鉄道開業100年」1

2022-10-08 13:53:54 | 雄二旅日記

 NHKで「~財津和夫 TULIPラストツアー~」と「SONGS」松任谷由実をやっていた。どちらもデビューは1972年で、今年が50周年ということになる。いやはや、こちらも年を取るわけだ。

 ところで、72(昭和47)年といえば、ちょうど「鉄道開業100年」ということで、テレビでは「鉄道100年 大いなる旅路」というドラマが放送され、鉄道記念日の10月14、15日には、記念行事として蒸気機関車C57-7が、汐留~東横浜を走ったりもした(写真は鶴見駅と品川駅で撮ったもの)。

 また、東京駅八重洲口の大丸東京店では、全国の駅スタンプを集めた「鉄道スタンプ押し歩き」というイベントが開催され、C57を追いかけて写真を撮りながら、スタンプも押すという、強行軍だったことを覚えている。

 当時は、今でいう“テツ”だったので、たくさん写真を撮り、鉄道関連の本をたくさん読んだ。もう50年も前なのかと思うと愕然とする。開業150年に当たる今年は、NHKが時々記念番組をやっている程度で、100年の時ほどの盛り上がりはない。次の節目の時は、もう自分はこの世にいないだろうなあ。

 

『日本の鉄道』(保育社・荻原武夫)
『写真集 日本の鉄道』(誠文堂新光社)
『世界の機関車』(秋田書店・本島三良)
『鉄道100年 日本の機関車』(秋田書店・本島三良)
『日本の鉄道百年』(あかね書房・秋永芳郎/藤咲栄三)
『鉄道ものしり百科』(秋田書店・佐藤常治)

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「ボストン美術館展 芸術×力」

2022-10-02 22:17:46 | 雄二旅日記

「ボストン美術館展 芸術×力」(2022.10.2.東京都美術館)

 

 遣唐使・吉備真備の活躍を描いた「吉備大臣入唐絵巻」と、平治の乱をテーマに、戦いの様子をダイナミックに描いた「平治物語絵巻 三条殿夜討巻」、そして修復された「孔雀図」(増山雪斎)が目玉。

 ただし、展示の仕方に脈略がなく、統一感もないので、散漫な印象を受けた。


 約40年前に、こんなスペシャルドラマを見た。

『ボストン美術館物語』(1983.3.12.)

 歴史の教科書に載っていた、例えば「平治物語絵巻」などを見るたびに、なぜボストン美術館所蔵となっているのか疑問に思ったものだが、多分、戦後のどさくさに紛れて、アメリカに持っていかれたのだろうと勝手に納得していた。

 ところが、このスペシャルドラマから、それは明治維新の際に行われた廃仏毀釈によるものだと知らされた。これは、維新後、欧米に追い付くために欧化政策を進め、天皇制を正当化するために神道を重んじるという、権力者たちが行った無理による結果の一つである。

 劇中、元駐日米大使のライシャワーが「日本は他国に比べれば、文化財を流出させない閉鎖性がある」と述べていたが、フランスから美術品を略奪するナチスドイツ軍を描いた『大列車作戦』(64)ではないが、その国が誇るべき文化財が、戦争や政治的な思惑によって居場所が左右されるのは、やはり困りものなのである。

 それにしても、進行役の滝田栄も言っていたが、ボストン美術館の日本コーナーには、ジェラシーを覚えずにはいられない。確かに、これらの美術品は、手塚治虫が『火の鳥』で描いたように、当時の権力者が作らせたり、所有したりしたものなのだが、それもまた、日本の歴史の一部なのだから、やはりアメリカではなく、日本にあるべきものなのではないかと感じた。

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葛飾総合高校吹奏楽部の『男はつらいよ』

2022-09-04 22:13:37 | 雄二旅日記

 家のすぐ近くに、都立葛飾総合高校があり、一昨日あたりから吹奏楽部が練習する音が聴こえてきた。この部は、いろいろな大会で好成績を収めている結構優秀な部で、地元のイベントなどでも時々演奏を披露する。

 ということは、何かのイベントかと思い、調べてみたら「亀有交通安全パレード」で演奏するというので、江戸川の土手を散歩がてらパレードの出発地である柴又の帝釈天へ行ってみた。イベント前に亀屋本舗で宇治金時を食す。

 で、名うての吹奏楽部の演奏による『男はつらいよ』のテーマ曲(部員の一人が頑張って歌っていた)を、帝釈天の境内で聴くという、貴重な体験をすることができた。この日、一日警察署長を務めた黒谷友香も「男はつらいよ」のファンだという。


柴又に“映画の友”をご招待(2016.10.23.)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/fb08ca6b996f3e2bffe244e864b0a685

「寅さんと東京」(2019.12.14.)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/e8e001e99b70d4d394b504f4fd654dec

『男はつらいよ 寅次郎の休日』金町そして川甚(2021.1.31.)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/1ff87093d5d7814b14b0b865855bf741


『男はつらいよ』金町浄水場の取水塔 柴又駅(2021.11.1.)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/38284f6680c9a29d5be198635035463a

柴又駅は寅さんづくし その1(2021.12.9.)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/5e2599af0db8a580df5477f14f91fd35

柴又駅は寅さんづくし その2
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/ba4fe085f3b5711e64dc5156513b555f

柴又駅は寅さんづくし その3
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/eccba2b0dccd4c1ce4ee7eebba90c744

 

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2022.7.29.岩波ホール閉館

2022-07-29 09:10:56 | 雄二旅日記

 それほど熱心な観客というわけではなかったが、ずっとそこにあったものがなくなるというのは、やはり寂しいものがある。いろいろなことを教えてくれた、学校の先生のような映画館だった。

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/7911d232c5653a2ff3dfde158d854dee

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井上勝像(東京駅)

2022-05-18 12:10:16 | 雄二旅日記

 東京駅前に立つ巨大な銅像は、明治初年に初代鉄道頭となり、鉄道の父と呼ばれた井上勝のもの。

 戦前に東京駅の駅舎とともに建てられた初代は、1914年、本山白雲(高村光雲の弟子)が原型を作り、台座は駅舎を設計した辰野金吾作だったらしいが、現在ある二代目の銅像の作者は朝倉文夫。

 井上の墓は、品川駅を過ぎ、ちょうど東海道新幹線、東海道本線、山手線などが分岐する辺りの、北品川・東海寺大山墓地にある。生前、井上本人がこの地を墓所に選んだのは、死後も鉄道を見守っていたいという意向からだという。

 幕末、横浜港から英国へ密出国した長州の5人の若者を描いた『長州ファイブ』(06)では、野村弥吉(後の井上勝)を山下徹大が演じた。

朝倉彫塑館
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/7a6fb5d853f82937300b43f37b5330a6

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第19回大船まつり

2022-05-15 22:33:56 | 雄二旅日記

 6年前に1度参加したことがあった「第19回大船まつり」に。コロナ禍で3年ぶりの開催だという。今回はパレードには参加せず、ウエスタン・ユニオン仲間のガンプレーを見学した。

 会場の鎌倉芸術館では、「わがまち大船写真展」が開催されており、松竹大船撮影所についての「シネマと大船」や「坂東武士と大船 ~頼朝・義時そして泰時へ~」のコーナーがあった。

 そこで、大船にも「鎌倉殿の13人」絡みの場所があることを知った。「頼朝の隠し湯」と呼ばれた温泉があったというし、常楽寺は、北条義時の息子・泰時が妻の母の供養のために建立したとされるが、北条政子が娘の大姫と許嫁の源(木曽)義高の菩提を弔うために創建したとする説もあるという。本堂の裏には泰時の墓があり、裏山には義高の首塚といわれる塚があるそうだ。
https://anthonhouse-ofunamatsuri.jpn.org/

「大船まつり 映画パレード2016」
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/7f436cded241dc43b8b87273cb812c05

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伊豆長岡「鎌倉殿の13人」

2022-05-09 10:33:25 | 雄二旅日記

 およそ17年ぶりに伊豆長岡を訪れた。前回は温泉に入るのが目的だったが、今回は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にちなんで、レンタサイクルで周辺を巡ってみることにした。

 まずは、昔は、北条義時の息子が、大蛇に襲われて命を落としたとされる池があったという、「江間いちご園」でいちご狩りを。今季は翌日で閉園だという。滑り込みでたらふくいちごを食べた。

 義時の墓がある北条寺は、ガイドさんが親切で、「ブラタモリ」風に地図を示しながら、いろいろな話を聞かせてくれた。義時の息子は、もちろん大蛇ではなく、多分大水で命を落としたのではないかとのこと。

 その後、守山に登る。残念ながら富士山は雲に隠れたが、展望台からの風景は絶景。大河の最後に流れる「紀行」の伊豆の国編の冒頭は、ここから撮られたのではないかと思った。

 各所で思いのほか時間を取られ、隣駅の韮山にある大河ドラマ館は断念した。

「鎌倉殿の13人」と「草燃える」
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/d1c36450859482d0466097e0b3b053b3

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小田原文学館 北原白秋童謡館

2022-03-26 16:08:29 | 雄二旅日記

 小田原文学館を訪れた。ここは、土佐藩出身の政治家・田中光顕の旧別邸で、北村透谷・尾崎一雄、川崎長太郎、牧野信一、北原武夫、薮田義男、福田正夫、谷崎潤一郎、坂口安吾、三好達治、北條秀司ら、小田原ゆかりの文学者の資料を展示している。 

 別館は北原白秋童謡館になっており、小田原に長く住んだ白秋に関する資料が満載されており、見応えがあった。白秋については、映画『この道』(16)公開時に、白秋を演じた大森南朋にインタビューする際に、いろいろと調べ、ちょうど妻が白秋に興味を持っていた時期とも重なったので、江戸川沿いの白秋ゆかりの地を訪ねたりもした。

 まさか、ここで再会するとは思ってもみなかったので、感慨深いものがあった。ちなみに白秋は、ここ小田原で、「雨」「赤い鳥小鳥」「あわて床屋」「待ちぼうけ」「ゆりかごの歌」「あめふり」「ペチカ」「からたちの花」「この道」「砂山」など、代表曲の作詞をしているそうだ。

『この道』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/9be77f36660312ec7a9fd72ad5e00c8b

【インタビュー】『この道』大森南朋
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/6a0357d45424357d96e2762f539ce774

北原白秋ゆかりの地を散歩
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/e06ee889711ae744e947069eb600211f

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横浜の山手あたりをぶらぶらと散策

2022-02-13 15:01:47 | 雄二旅日記

 中華街→元町→外国人墓地→アメリカ山公園→山手資料館→ゲーテ座跡→港の見える丘公園→フランス山(領事館跡)→山下公園→関内(喫茶大学院)というコース。

 山手資料館では、1862年に居留外国人向けの雑誌『ジャパン・パンチ』を創刊し、風刺漫画と文章を描いたチャールズ・ワーグマンについての資料を見ることができた。そのほか、外国人墓地に葬られた、鉄道技術主任のエドモンド・モレル、フェリス女学院を創設したメアリー・キダー、ビールのウィリアム・コープランドらについての情報もあった。

 また、近くには、1870年(明治3年)に、オランダ人のノールトフーク・ヘフトが居留地に建てた日本初の本格的演劇場ゲーテ座の跡もあった。

 内藤誠の『ヘボン博士のカクテル・パーティ』(講談社)によると、ゲーテ座では、1919(大正8)年のジョン・フォード監督の『恋の投縄』(19)『荒馬』(?)から本格的に映画も上映し始め、谷崎潤一郎は『アベ・マリア』という小説の中で、ゲーテ座でセシル・B・デミル監督の『アナトール』(21)を見たことについて記しているという。

 横浜の山手近辺でロケされた映画は数多くあり、『かながわシネマ風土記』(丸岡澄夫)に詳しく載っているが、その中でも、成瀬巳喜男監督の『ひき逃げ』(66)、降旗康夫監督の『冬の華』(78)で健さんがこの辺りを歩くシーンや、黒澤明監督の『天国と地獄』(63)で竹内(山崎努)が山下公園をうろつくシーンが特に印象に残っている。

 そういえば、「丘を登れば外人墓地あたり」という歌があったと思って、調べてみたら「長崎慕情」(作詞:林春生、作曲:ザ・ベンチャーズ、歌:渚ゆう子)で、全く関係なかった。

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