リマインドと想起の不一致(18)
「夏以外に海に行ったことがないんだけど、春の海って、どういう感じなのかな?」
と、ひじりが言った。
「そうだよな、漁師町で暮らしてきたわけでもないから」
そのような会話がある日にあってからの休みに、ぼくらはわざわざ早起きをして都会と逆方面の電車に乗った。
都会の町並みがどこまでもつづくと思われた風景だったが、いつの間にか窓の外はのどかな景色に変わっていった。三月の春めいた日差し。ひじりの血色のよい顔。春に芽吹く花や草木の予兆。ぼくは一生、忘れることができない時間を生み出そうとしていた。
目的地で切符を駅員に渡して、駅前で小さな地図をもらった。ひじりの母が遠いむかしに臨海学校に来た地だ。ぼくらは流行など意識したこともなさそうな店に入り、ジュースを買った。
近くで波の音がする。夏以外にも、もちろん海はあった。上空には無数の鳥が飛んでいる。心配ごとも一切、ないようにして。成績もポイントも打率も職場の首切りも気にしないものたち。おそらく、この日のぼくも似たようなものだった。
砂浜のところまで達すると、ひじりが屈んで砂をさわる。それはさらさらとしていて、砂時計をさかさまにしたように手の平から順にこぼれ落ちた。彼女は同じ行為を二、三度くり返した。それから、手の平をこすり合わせて見えない微細な砂粒をはらい落とした。
「気持ちいいよ」
彼女に心地良さを与えるものに自分もなりたかった。ぼくの存在が彼女に影響を及ぼして、この日の空気のように暖かさをもたらすのだ。
ぼくらは計画も予定もないまま歩いていた。空の鳥と同じだ。犬や猫とも同じともいえた。何匹か飼われているのか野良犬なのか判断できない犬も海辺にいた。狂暴さはまったくない。これらも思いがけなく、ただ海を見たくなって遠出をしてしまったという無計画な顔をしていた。
前方に雨が降ったわけではないのに、小さな虹がかかっていた。色彩をぼくらは同時に認める。ぼくらは立ち停まって、しばらくその弧をぼんやりとながめていた。どれぐらいそうしていたのか分からないが、そこにあった痕跡は直ぐになくなっていた。しかし、次の色を見つける。漁をする船がもどってくる様子が海のうえにあった。旗が風に揺れている。同じような旗を店頭に並べている店舗もあるようだ。鼻は自然と魚のにおいを感じる。ここが海だとあらためて主張する風に反応するために。
ぼくらは空腹感が耐えられない年代だった。だが、魚の目利きができる年頃でもない。うんちくよりも量で勝負だ。ぼくらは示し合わせたように魚のフライの定食を選ぶ。あつあつに揚がったフライが皿を覆い尽くしている。外ではカモメが鳴いている。ぼくも彼女も十五年しか生きていない。この魚たちは何年、海で泳いでいたのだろうか。虹が容認され、意識される時間はもっと短い。それでも、虹というのは水蒸気があった古代から、さらに、これからもずっと細かに分類されずに存続していくのだろう。
「夏以外に海に行ったことがないんだけど、春の海って、どういう感じなのかな?」
と、ひじりが言った。
「そうだよな、漁師町で暮らしてきたわけでもないから」
そのような会話がある日にあってからの休みに、ぼくらはわざわざ早起きをして都会と逆方面の電車に乗った。
都会の町並みがどこまでもつづくと思われた風景だったが、いつの間にか窓の外はのどかな景色に変わっていった。三月の春めいた日差し。ひじりの血色のよい顔。春に芽吹く花や草木の予兆。ぼくは一生、忘れることができない時間を生み出そうとしていた。
目的地で切符を駅員に渡して、駅前で小さな地図をもらった。ひじりの母が遠いむかしに臨海学校に来た地だ。ぼくらは流行など意識したこともなさそうな店に入り、ジュースを買った。
近くで波の音がする。夏以外にも、もちろん海はあった。上空には無数の鳥が飛んでいる。心配ごとも一切、ないようにして。成績もポイントも打率も職場の首切りも気にしないものたち。おそらく、この日のぼくも似たようなものだった。
砂浜のところまで達すると、ひじりが屈んで砂をさわる。それはさらさらとしていて、砂時計をさかさまにしたように手の平から順にこぼれ落ちた。彼女は同じ行為を二、三度くり返した。それから、手の平をこすり合わせて見えない微細な砂粒をはらい落とした。
「気持ちいいよ」
彼女に心地良さを与えるものに自分もなりたかった。ぼくの存在が彼女に影響を及ぼして、この日の空気のように暖かさをもたらすのだ。
ぼくらは計画も予定もないまま歩いていた。空の鳥と同じだ。犬や猫とも同じともいえた。何匹か飼われているのか野良犬なのか判断できない犬も海辺にいた。狂暴さはまったくない。これらも思いがけなく、ただ海を見たくなって遠出をしてしまったという無計画な顔をしていた。
前方に雨が降ったわけではないのに、小さな虹がかかっていた。色彩をぼくらは同時に認める。ぼくらは立ち停まって、しばらくその弧をぼんやりとながめていた。どれぐらいそうしていたのか分からないが、そこにあった痕跡は直ぐになくなっていた。しかし、次の色を見つける。漁をする船がもどってくる様子が海のうえにあった。旗が風に揺れている。同じような旗を店頭に並べている店舗もあるようだ。鼻は自然と魚のにおいを感じる。ここが海だとあらためて主張する風に反応するために。
ぼくらは空腹感が耐えられない年代だった。だが、魚の目利きができる年頃でもない。うんちくよりも量で勝負だ。ぼくらは示し合わせたように魚のフライの定食を選ぶ。あつあつに揚がったフライが皿を覆い尽くしている。外ではカモメが鳴いている。ぼくも彼女も十五年しか生きていない。この魚たちは何年、海で泳いでいたのだろうか。虹が容認され、意識される時間はもっと短い。それでも、虹というのは水蒸気があった古代から、さらに、これからもずっと細かに分類されずに存続していくのだろう。
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