リマインドと想起の不一致(40)
ひじりを思い出す回数が減る。だが、二十回が十九回になった程度だ。微々たる減少。
あゆみの仕草自体に反応する自分がいる。同性である女性ということで。しかし、それはあゆみなのだ。ぼくは段々と現実の生活を受容し、彼女に対する気持ちを肯定化する。
その間にもひじりのうわさはたまに届いた。ぼく以上にひじりを愛する男性などいないであろうと決めていた。しかし、うわさはその一方的な仮説を木端微塵に打ち消した。そもそも、もうぼくには証明する手立てがなかった。論理だけの展開しかぼくには与えられていない。若い肉体あるふたりに、あるいは四人に架空の論理など、いったいどんな役に立つのだろう。
ここに現実の君はいない。会わない日数が一日ずつ増えていく。
あゆみはぼくの家にも来る。ぼくの母と親しく話していた。もともと愛想が良いのだ。ひととの接点を多目に設定されている。だから、評判も上がる。ぼくは設定を変えない。頑なに後ろ向きである。しかし、あゆみとの日々も刻々と増えていく。新たな思い出がさまざまな町に、そして、ぼくの脳にストックされていく。事実の積み重ねをなかったことにはできない。ぼくは失恋をした。その結果、あゆみが部屋にいる。
あれを安易に失恋と呼んでもいいのだろうか? もしかしたら、ひじりがその立場のたったひとりの該当者と思っているのかもしれない。いや、もうぼくとの時間を、もしくはその断片を捨て去りつつあることも想像できる。ぼくは、その忘却への流れや決壊を阻止したかった。
誰も、そんな力も権利もない。ぼくらはぼくの部屋で音楽を聴いていた。あゆみはリズミカルな音楽に合わせて鼻歌をうたう。ぼくはひじりの歌声を知らなかった。知り得るチャンスはもうないのだろう。ぼくは比較ばかりをする。そういう類いのことが自分にふりかかれば必ず苛立つだろうに。ひじりも新しい彼氏のふるまいと、ぼくのそれとを俎上に載せてあれこれと考えるだろうか。長所もあれば、短所もある。だが、素直に新しいものだけを追い駆けて、幸福を寄せ集めていることだろう。
愛のうたがたくさんあった。状況も無数にあった。恋する気持ちは芽生え、消えて、再燃した。ぼくらは部屋にいることに飽き、外を歩いた。
「母校のそばに行ってみたい」とあゆみは言った。断る理由はひとつもないが、行ってみようと敢えて勧めることもしたくなかった。でも、当然、ぼくらはそちらに足を向ける。
ここはひじりとの特別な場所だった。聖域という一度も使ったことのない高貴なことばを頭に浮かべる。
「当時、好きな子って、どんな子?」
「いたのかな……」
「いたでしょう? わたしに似てる、違う?」
ここに君はいない。ぼくの深奥なる思い出に土足で入ってくる権利を有すると勘違いしている女性といる。
「忘れたな、いまが楽しいからかな、きっと」
未来というのは手放しに歓迎するに値するものなのか。過去に拘束され苦しめられるのを許すのは度胸のないことなのか。ぼくは自分の発する本音ですら疑っている。
「ここに、わたしも通ってみたかったな。いっしょに通学したり、帰り道でこっそりと寄り道したり」
過去を変えられないことにいまだけは感謝している。矛盾を忘れて。未来にだけあゆみはいる。昨日まではすべてひじりの取り分なのだ。荒らしてはいけない領域だ。常に昨日を増し加えて、頑丈な柵を設けて昨日と未来のすき間に踏み込ませなければだが。
ひじりを思い出す回数が減る。だが、二十回が十九回になった程度だ。微々たる減少。
あゆみの仕草自体に反応する自分がいる。同性である女性ということで。しかし、それはあゆみなのだ。ぼくは段々と現実の生活を受容し、彼女に対する気持ちを肯定化する。
その間にもひじりのうわさはたまに届いた。ぼく以上にひじりを愛する男性などいないであろうと決めていた。しかし、うわさはその一方的な仮説を木端微塵に打ち消した。そもそも、もうぼくには証明する手立てがなかった。論理だけの展開しかぼくには与えられていない。若い肉体あるふたりに、あるいは四人に架空の論理など、いったいどんな役に立つのだろう。
ここに現実の君はいない。会わない日数が一日ずつ増えていく。
あゆみはぼくの家にも来る。ぼくの母と親しく話していた。もともと愛想が良いのだ。ひととの接点を多目に設定されている。だから、評判も上がる。ぼくは設定を変えない。頑なに後ろ向きである。しかし、あゆみとの日々も刻々と増えていく。新たな思い出がさまざまな町に、そして、ぼくの脳にストックされていく。事実の積み重ねをなかったことにはできない。ぼくは失恋をした。その結果、あゆみが部屋にいる。
あれを安易に失恋と呼んでもいいのだろうか? もしかしたら、ひじりがその立場のたったひとりの該当者と思っているのかもしれない。いや、もうぼくとの時間を、もしくはその断片を捨て去りつつあることも想像できる。ぼくは、その忘却への流れや決壊を阻止したかった。
誰も、そんな力も権利もない。ぼくらはぼくの部屋で音楽を聴いていた。あゆみはリズミカルな音楽に合わせて鼻歌をうたう。ぼくはひじりの歌声を知らなかった。知り得るチャンスはもうないのだろう。ぼくは比較ばかりをする。そういう類いのことが自分にふりかかれば必ず苛立つだろうに。ひじりも新しい彼氏のふるまいと、ぼくのそれとを俎上に載せてあれこれと考えるだろうか。長所もあれば、短所もある。だが、素直に新しいものだけを追い駆けて、幸福を寄せ集めていることだろう。
愛のうたがたくさんあった。状況も無数にあった。恋する気持ちは芽生え、消えて、再燃した。ぼくらは部屋にいることに飽き、外を歩いた。
「母校のそばに行ってみたい」とあゆみは言った。断る理由はひとつもないが、行ってみようと敢えて勧めることもしたくなかった。でも、当然、ぼくらはそちらに足を向ける。
ここはひじりとの特別な場所だった。聖域という一度も使ったことのない高貴なことばを頭に浮かべる。
「当時、好きな子って、どんな子?」
「いたのかな……」
「いたでしょう? わたしに似てる、違う?」
ここに君はいない。ぼくの深奥なる思い出に土足で入ってくる権利を有すると勘違いしている女性といる。
「忘れたな、いまが楽しいからかな、きっと」
未来というのは手放しに歓迎するに値するものなのか。過去に拘束され苦しめられるのを許すのは度胸のないことなのか。ぼくは自分の発する本音ですら疑っている。
「ここに、わたしも通ってみたかったな。いっしょに通学したり、帰り道でこっそりと寄り道したり」
過去を変えられないことにいまだけは感謝している。矛盾を忘れて。未来にだけあゆみはいる。昨日まではすべてひじりの取り分なのだ。荒らしてはいけない領域だ。常に昨日を増し加えて、頑丈な柵を設けて昨日と未来のすき間に踏み込ませなければだが。
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