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リマインドと想起の不一致(43)

2016年06月26日 | リマインドと想起の不一致
リマインドと想起の不一致(43)

 蜜月。

 仲良きことは美しきかな。ぼくはこころの推移を外部のことばで探す。疑惑の反論をするように。もし、表現できることばがあればその感情は正しいと証明されるのだ。人類は足りないことばを補うように、補填するように作りつづけてきた。該当するものが足されれば、個人の発明品だとしても人類の共通財産として蓄積される。

 分析することもない。多くの感情は壁に画びょうで留めることもなく忘れ去られていく。刻々と素通りする。そのなかで一部のものだけがふるいを通り抜けられずに脳にとどまってくれる。喜びもあれば、悲しみや失意の残骸もあった。皆無という人間はあり得ない。その箱にあゆみの情報が性能の良い掃除機のように取り込まれていく。陰干しなどいらない。

 子どものころに遊んだおもちゃもそこにある。無造作に放り込まれた過去の記憶。いつか振り返ることもないであろうものも片隅に入っている。ぼくの過去の集積なのだから。いつも真っ先に水面に浮かんでくるような美しいものもあった。ひじりとの思い出は窒息を許されない。だが、さすがに昨年の水着のように自然と褪せていった。

 褪せる。摩耗。劣化。償却期間。そういう負の側のことばもある。だが、最後のときを迎えるまでぼくの財産であることも間違いない。奪えない。保存。耐久。ストック。貯蔵。越冬。ぼくはいつものようにことば遊びをはじめる。

 ぼくはあゆみの妹のバスケットボールの試合を見ていた。あゆみは身長が越されている。横にいると、どちらが姉か分からない。顔立ちは似ている。どこでどう遺伝のバランスがずれたのかぼくには分からない。その試合で妹は大活躍をする。ぼくは姉の彼氏という役目を受ける。試合後、ジュースをおごる。すがすがしい汗をかく年代。冷や汗や寝汗は大人になるにつれて増加する。

 これもぼくの一日だった。過去を振り返ることや、悔いることの少ない一日だった。普通の未来に目を向ける小さな野望をもつ青年のできあがりだ。この変化をひじりは知らない。でも、どこかで新しい自分を知ってもらいたいとも思っていた。するとあゆみの妹は姉のために腹を立てるだろうか?

 あゆみの家に電話をかけると妹がでる。取り次ぐ間に少し話す。取り留めもない、痕跡ののこらない会話。無駄なおしゃべり。世の中は意味あることばかりでは成り立たない。画期的なことも、エポック・メーキングもない。普通の幸せ。普通の時間。ぼくは、胸のあたりが温かくなる。それは特定の誰かの幸福を願い、悲しませるのにつながることをまったくしないと誓うようなものから派生した気持ちだった。いや、誓いという大げさなものではなく日常の小さな一部の積み重ねだった。積み重ねとも違う。平凡な幸せを、車輪のついた台に載せてどこまでもつづく平坦な道へとゆっくりと運ぶようなものだった。

 ぼくは、どこかからどこかまで範囲の区分けされていないところでリレーの番を待つ。駅伝のタスキのようなものでもある。あゆみが担い、妹の笑顔もどこかで加わる。ぼくは電話を切る。安堵の息を吐く。立ち直れたのだ。もう過去の呪縛におびえることもなく、もどる理由もなく、閉じ込められるのも避け、沈み込みたい願望も消えた。永遠という長い時間を追加して考慮すると、この一日の連続とどう違うのか公平な判断ができなくなった。


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