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リマインドと想起の不一致(44)

2016年06月27日 | リマインドと想起の不一致
リマインドと想起の不一致(44)

 ぼくの良さをあゆみが知っている。いや、彼女が引き出してくれたのだ。ぼくは自分の内面に埋もれていた要素を彼女のスコップによって発掘され、地中から見出されて取り付けられた眩しい鈴の音で気付かされる。

 ぼくの醜さを誰も知らない。あゆみは信じようともしない。ぼくは騙しているのだろうか?

 終わったことをくよくよと考えていた時期も終了する。まっとうなことだ。ぼくは健全なる青年にもどる。恋のよろこびに浸かる。だが、高校の帰り道でひじりを見かけてしまう。ぼくは望んでもいない。不可抗力だった。

 ひじりはぼくに気付いていないようだった。彼女はぼくについてどう思っているのだろう? 今更、心配してもどうにもならない。まさか恨んでいるのだろうか? 気にもしていないのだろうか? 駆け足で追いついて直接、訊くこともできた。だが、ぼくのことをいつもの所であゆみがいまは待っているはずだ。ぼくは、あゆみを裏切るようなことができなくなっていた。再犯は、もっとも悪質だ。

 あゆみは楽しそうに最近のできごとを話す。ぼくはひじりの最近の事情を知らない。知る権利もない。ひとは別れてしまえば関係が絶たれるという事実に納得する。いや、納得などしていない。そういう念に似た気持ちを打ち消さなければならないのだ。

 ぼくは、これでも歓喜という状態を恒常的に保っている。あゆみが、正にかけがえのない者となっている。ジーンズが馴染むように、色合いや風合いが好みにしっくりと変化するようになっている。極論をいえば、ひとは自分の周囲にあるものしか愛せない。会わなければ、関係性など未習熟のあやとりの如く絡まってそれで終わりだった。

 だが、先ほど会うチャンスが不意に訪れた。あゆみが待っていなければ、その無言の誘いに誘導されてしまったのだろうか。ひじりが迷惑がることも考えられる。なつかしいというだけの親密さを拒絶する場所にぼくを追いやっているのかもしれない。名前も、ぼくの声もまさか忘れてはいないだろう。ひとは忘れようと思っている間は、なかなか目標に達せないのだ。意識しなくなってこそ、にらみ合いは中断され、忘却はこちらに歩み寄ってくれる。

 石をめくるとひじりがいる。埋葬という段階に到達しない女性。ぼくの脳の回路に宿っている。これも事実だ。無理に忘却を促すこともない。自然にその過程は適切なプログラム通りに予定のまま疑いもなく行われる。

 忘れていたと言って、あゆみはプレゼントをもったいぶらずに手渡してくれた。
「なにか、記念日だっけ?」とぼくはその日を掘り返す。

「ただ、この色合いが似合いそうだと思って」

 あゆみはぼくのことを考えている。あゆみの深い回路にもぼくが潜んでいる。蜘蛛の巣を張るようにぼくがいる。ぼくを尊敬できるものとして、美しいものとして、決してしっぺ返しをしないものとして。

「うれしいな」素材のやわらかなシャツをくれた。ぼくは広げて胸の前にかざす。
「今度、着てきて」
「いいよ」

 ぼくは未来のなかにいる。あゆみのなかでショートすることも、燃え尽きることもない正しい部品としてのぼくが組み込まれていく。ビンのなかの精密な模型の船のようにぼくは安全にあゆみと共にいる。あれは幻だったのだ。ひじりと似たひとがいただけなのだ。ぼくという船の舳先はあゆみに向かっている。安定した航行をさまたげるものは、なにひとつなくなったのだった。


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