27歳-41
希美はふたたび東京にいる。
最初の日、ぼくは仕事で会わなかった。次の日に久しぶりに会う。ぼくはその瞬間を、やはり貴重なものとして覚えている。これから、また新たなページをめくる日々。ふたりには希望もあり、恥じらいのようなものもあった。その恥じらいには相手への理解というエッセンスがなくなってしまったためともとれた。ぼくらの過去は一回、間違って清算されてしまったかのように。
待ち望んでいたものなのに、それを手にしてみると、小さな違和感があった。期待外れと宣言するほど、目に見えて大きなものではない。ぼくの空想力は会わない間に別の形に変化を遂げていた。希美の美点があまりにも膨らみ過ぎ、本人の実体とわずかだがかけ離れてしまった。長年、使用に耐えるはずだった精密機器がほんの狂いを生じさせるとがっかりという印象しかのこさないようにぼくは自分にか、あるいは希美になのか分からないまま澱みのようなものを見つけていた。
だが、ここからスタートだと思えば、小さな違和感より、大きなこれまでの幸福感の方が主張が強いのも事実だった。清算前の思い出がレシートにもきちんと記載されていた。その項目のひとつひとつの気持ちが部屋を占有していた。だが、彼女にはご褒美として長い休みが与えられ、彼女は新しい東京での住まいも決めないまま実家に帰って、そこで時間を過ごすことにしたのだ。ぼくらはまた離れている。暮らしは距離を挟めば、問題が生まれるというのを知らないままのふたりではなかったのに。
それでも仕事と隔絶した生活をつづけられるわけもなく、細々とした決定を彼女はその期間にすることになった。すべてが重大事でもないが、小さな決定は見栄えが小さいだけで、意外と大きなものであるということをぼくらはその後、知るようになる。
希美は会社が用意した住まいに移ることに決めた。費用は軽くて済んだ。その場所はぼくの家から遠かった。別の方法もあるのかもしれないが、ぼくには相談もなかった。彼女はぼくが聞いていなかっただけだと言ったが、それほど重要なことであれば、念入りに説明することが必要であることも疑うこともない事実だった。
ぼくは浮気だとも思っていないぐらいなささいな関係を不意に友人の口がもらすことになった。ぼくはそれすらも忘れていた。ぼくは待つだけのマシンでもなかった。会社と自分の家を往復するだけで満足するほど若くもなかった。友人は楽しそうにそのエピソードを披露する。ぼくの相手は誰かに言い、その誰かが彼に話したのだろう。彼の妻は、その状態に不満をもち、文句をいうこともできたはずなのに、ぼくのことだけ笑っていた。夫にも同じような罪への疑惑があるのだろうが、なぜか、ぼくだけが不本意な立場に置かれた。
希美はこの隔たった期間をこのようなことが明らかになるならば、正しかったのだという位置におさめた。離れていた期間に行われたことは、彼女の決定をする材料として与えられた。ぼくは、ふたりが離れることなど、よくないことだったのだという材料だと思って機能させようとした。同じものを両側から見れば、角度なのか、光の照射なのか別物になるという基本中の基本を体験として教えてくれた。
ぼくらはそれでも夜をともにした。泊まりで彼女はぼくの家にいた。ぼくが仕事の間に、家事をしてくれて家の中は片付いた。食器棚も整理され、グラスが背の順に並べ替えられている。スプーンやフォークは頭の向きが揃っていた。ぼくは無頓着な人間だとも思っていないが、こうして客観的に家のなかを覗けば、雑にできていることも否定できなかった。
数日で彼女は帰る。希美の手でたたまれていた洋服も、また着て洗濯され、もとの状態にもどった。不在という形をこのような周囲のものまで熱心に伝えてくれた。
ぼくは今後、彼女のいない生活というものを意図もしていなかったのに頭の片隅に入れてしまっている。侵入という表現が近い。手慣れた泥棒のように痕跡ものこさずに、家のなかのあるべきものを空にして、別のものが充填されていた。
彼女がいない期間もあれはあれで幸福だったのだと認定する。いっしょにいてケンカをするのは、居ないことで不満をぶつけあうほど楽しいものではなかった。いないということで問題を棚上げできたが、いればぼくらのどちらかに問題があることは必然的に明らかになった。
ぼくはひとりになって映画を観ている。この暗闇は逃げ場となり、雨と風をおそれる原始の人間の洞窟とも呼べた。他人の生活に起こる幸運も悲恋も、ぼくに生身の傷を加えることはなかった。別れなければならないのか? それは薄い生地をさらに引き剥がすことのように思えた。薄い層のひとつひとつに感情と思い出が染み渡っていた。期間が長引けば、その分、痛みも加算されることを知る。ぼくの十六才は意識して引き剥がすという行為は未体験で終えられたのだ。どちらの痛みがより痛切なのか、意味もなく比較しようとした。いや、終わらせてはならない。ぼくらは気が合い、未来を話し合った仲なのだ。ぼくのこの大切な日々を知っており、分け合ったのは希美だけなのだ。あの服のたたみ方を愛し、家のなかでの仕草も好きだった。ぼくは映画とはまったく別のことを考えている自分を発見する。だが、これも含めて映画の鑑賞法のような気にもなっていた。
希美はふたたび東京にいる。
最初の日、ぼくは仕事で会わなかった。次の日に久しぶりに会う。ぼくはその瞬間を、やはり貴重なものとして覚えている。これから、また新たなページをめくる日々。ふたりには希望もあり、恥じらいのようなものもあった。その恥じらいには相手への理解というエッセンスがなくなってしまったためともとれた。ぼくらの過去は一回、間違って清算されてしまったかのように。
待ち望んでいたものなのに、それを手にしてみると、小さな違和感があった。期待外れと宣言するほど、目に見えて大きなものではない。ぼくの空想力は会わない間に別の形に変化を遂げていた。希美の美点があまりにも膨らみ過ぎ、本人の実体とわずかだがかけ離れてしまった。長年、使用に耐えるはずだった精密機器がほんの狂いを生じさせるとがっかりという印象しかのこさないようにぼくは自分にか、あるいは希美になのか分からないまま澱みのようなものを見つけていた。
だが、ここからスタートだと思えば、小さな違和感より、大きなこれまでの幸福感の方が主張が強いのも事実だった。清算前の思い出がレシートにもきちんと記載されていた。その項目のひとつひとつの気持ちが部屋を占有していた。だが、彼女にはご褒美として長い休みが与えられ、彼女は新しい東京での住まいも決めないまま実家に帰って、そこで時間を過ごすことにしたのだ。ぼくらはまた離れている。暮らしは距離を挟めば、問題が生まれるというのを知らないままのふたりではなかったのに。
それでも仕事と隔絶した生活をつづけられるわけもなく、細々とした決定を彼女はその期間にすることになった。すべてが重大事でもないが、小さな決定は見栄えが小さいだけで、意外と大きなものであるということをぼくらはその後、知るようになる。
希美は会社が用意した住まいに移ることに決めた。費用は軽くて済んだ。その場所はぼくの家から遠かった。別の方法もあるのかもしれないが、ぼくには相談もなかった。彼女はぼくが聞いていなかっただけだと言ったが、それほど重要なことであれば、念入りに説明することが必要であることも疑うこともない事実だった。
ぼくは浮気だとも思っていないぐらいなささいな関係を不意に友人の口がもらすことになった。ぼくはそれすらも忘れていた。ぼくは待つだけのマシンでもなかった。会社と自分の家を往復するだけで満足するほど若くもなかった。友人は楽しそうにそのエピソードを披露する。ぼくの相手は誰かに言い、その誰かが彼に話したのだろう。彼の妻は、その状態に不満をもち、文句をいうこともできたはずなのに、ぼくのことだけ笑っていた。夫にも同じような罪への疑惑があるのだろうが、なぜか、ぼくだけが不本意な立場に置かれた。
希美はこの隔たった期間をこのようなことが明らかになるならば、正しかったのだという位置におさめた。離れていた期間に行われたことは、彼女の決定をする材料として与えられた。ぼくは、ふたりが離れることなど、よくないことだったのだという材料だと思って機能させようとした。同じものを両側から見れば、角度なのか、光の照射なのか別物になるという基本中の基本を体験として教えてくれた。
ぼくらはそれでも夜をともにした。泊まりで彼女はぼくの家にいた。ぼくが仕事の間に、家事をしてくれて家の中は片付いた。食器棚も整理され、グラスが背の順に並べ替えられている。スプーンやフォークは頭の向きが揃っていた。ぼくは無頓着な人間だとも思っていないが、こうして客観的に家のなかを覗けば、雑にできていることも否定できなかった。
数日で彼女は帰る。希美の手でたたまれていた洋服も、また着て洗濯され、もとの状態にもどった。不在という形をこのような周囲のものまで熱心に伝えてくれた。
ぼくは今後、彼女のいない生活というものを意図もしていなかったのに頭の片隅に入れてしまっている。侵入という表現が近い。手慣れた泥棒のように痕跡ものこさずに、家のなかのあるべきものを空にして、別のものが充填されていた。
彼女がいない期間もあれはあれで幸福だったのだと認定する。いっしょにいてケンカをするのは、居ないことで不満をぶつけあうほど楽しいものではなかった。いないということで問題を棚上げできたが、いればぼくらのどちらかに問題があることは必然的に明らかになった。
ぼくはひとりになって映画を観ている。この暗闇は逃げ場となり、雨と風をおそれる原始の人間の洞窟とも呼べた。他人の生活に起こる幸運も悲恋も、ぼくに生身の傷を加えることはなかった。別れなければならないのか? それは薄い生地をさらに引き剥がすことのように思えた。薄い層のひとつひとつに感情と思い出が染み渡っていた。期間が長引けば、その分、痛みも加算されることを知る。ぼくの十六才は意識して引き剥がすという行為は未体験で終えられたのだ。どちらの痛みがより痛切なのか、意味もなく比較しようとした。いや、終わらせてはならない。ぼくらは気が合い、未来を話し合った仲なのだ。ぼくのこの大切な日々を知っており、分け合ったのは希美だけなのだ。あの服のたたみ方を愛し、家のなかでの仕草も好きだった。ぼくは映画とはまったく別のことを考えている自分を発見する。だが、これも含めて映画の鑑賞法のような気にもなっていた。
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