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リマインドと想起の不一致(41)

2016年06月21日 | リマインドと想起の不一致
リマインドと想起の不一致(41)

「わたしの胸、そんなに大きくないけど、世界一きれいだと思わない?」自信があるような、それでいて照れたような様子を混ぜた表情であゆみは質問なのか分からないことを訊いた。「言い過ぎだね。そこそこ、きれいだと思わない? 日本一、市内一。バーゲン中まっしぐらです」

「見たことないよ、比べられるほど……」
「はい、ダウト」今度は満面に自信があらわれている。「前のひとの残像を追っかけてまあす」甘えたような言い方だ。

「誰のことだろう?」
「約束して、もう引きずるの、止めてくれない?」
「前なんか最近、気にしたこともないよ」
「じゃあ、信じるけど」信じたいけどという希望を暗に含んだのか。

 ぼくは過去の残響からも試練を受ける。もっと正確にいうと、過去のできごとが無言で、まさに瀕死の状態なのに息を吹き返して多方面に命の残骸を響き渡らせていた。

 ぼくは家に帰って英語の辞書を手にする。ダウトとサスピションの差。根拠のあるなし。あゆみはダウトと用語を間違って使った。はっきりと疑惑の対象はあった。漠然というものではない。ぼくは見破られたことにいらつき、同時に安堵した。ぼくのなかにまだひじりはいた。そして、ぼくのなかだけにしか存在しない。現実のひじりを取り戻す術がひとつもないのだから。

 あゆみはぼくの性質を誉め、容姿を愛でた。ぼくも同じことを無意識下で求められている。自分にしてもらいたいこと。あゆみはぼくを救ってくれるのかもしれない、と大げさなことを考える。すると、ぼくはもっと壮絶な落下に耐えなくてはならない。この位置は自力で這い上がれる場所なのだ。まだまだ、最底辺ではない。

 他力が必要ならその役目はひじり当人にしか無理だった。ぼくは論理をすりかえている。あるいは破綻させようと挑んでいる。債権者は誰なのだ? おこぼれをもらうのは一体、どいつなのだ?

「あゆみちゃん、かわいいよな」友人のひとりが言う。
「代々、かわいい」もうひとりが言う。
「大切にしないと」

「してるよ」ぼくは弁解をする。その指摘されたことばにこだわってしまったのだから、大切にしてないともいえた。足りない。ぼくはすべてに対して足りないようだった。不足をなにかでごまかそうとしている。その余地にひじりをまぎれこまそうとしている事実がはっきりとあるのだから。

 ぼくは何遍もいうが後ろ向きだった。十代なんか前進のために設けられているわずかな時期だろう。ぼくは輝ける日々をわざわざ曇らそうとしている。そのくすんだ容器のなかにあゆみを閉じ込める。不幸をラグビーのパスのように連鎖させる。ぼくは振り子のような自分自身の両側への揺れに踏ん張って抵抗していた。しかし、あゆみの幸せだけを追求しようと願った。すると、自分の幸福とはどうやら一致しないようだと不安にもなった。

 ぼくはあゆみのすべてを誉める。

「わざとらしいよ」と言いながらも彼女はうれしそうだった。美点が多分にある十代の女性。今後、もっとその実は花開いていくのだろう。可能性を共有することが恋人の役割だった。ぼくは、そろそろ本気で彼女を好きになってみようと考える。また、意識してすることでもないだろうと客観さを持ち込み、かえって白けるような感覚もたずさえてしまっていた。



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