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リマインドと想起の不一致(27)

2016年04月24日 | リマインドと想起の不一致
リマインドと想起の不一致(27)

 ひじりが友人を連れて来る。彼女が作る新しい社会からやって来た。彼女はぼくとひじりが生み出した関係性に立ち入る。ぼくは、ぼくら二人が並んだところが似合っているかどうかを気にしていた。客観的に眺められる目を通して。

 彼女らは背丈が近かった。後ろ姿を見ると良く似ていた。振り向くともちろん違う。でも、生まれた日も当然のごとく、一年とは離れていない。同じ高校に通い、同じことばを用いる。差異というのは、どこを発信源にするのだろう。顔だろうか? 暮らし向きだろうか? 裕福さの度合いなのか。

 ぼくの記憶に新たな名前が加えられる。それは一つの映像を伴っている。十六才。女性。ひじりの友人。見ず知らずの十五年間。

 だが、誰もが似たりよったりの関係だ。新たに会うひとは、過去を共有していない。良かれ悪しかれ。新しく知人となってからその空白を埋めるように会話をする。そして、思い出の地があれば、いっしょに訪れる。未来を共にするのにいくつものトンネルをくぐり抜ける。その途中で象徴的な意味合いで手が離れてしまうことも起こり得た。

 ぼくは自分の学校では、生まれながらの人見知りを発揮して、なかなか友人を増やせなかった。放課後の運動もせず、バイトもしていない。ぼくの地域から通学している面子も少なかった。それより、ぼくは思春期から脱皮するための個(これも新たな鎧に過ぎない。ただの新旧の交換)の確立というものを大切にしようとしていた。自分は一体、何になれるのか分からないながらも、自分を見つめる姿勢を捨て切れなかった。悩みは尽きず、そして、悩んでいられる状態を永続させるほど、暇でもなかった。

「あの子、可愛いでしょう?」

 いまのぼくは、こうした質問がただの確認や同意ではなく、ある種のテストを含んでいることも認識している。しかし若さというのは愚かであるから素晴らしいのだ。

「本当だね、可愛かった」

 その言葉を真に受け、ひじりは気分を害した表情をする。「わたしより?」と質問はさらに追加される。
「それは、分かっているじゃん」
「言わないと、分かんないよ」

 ぼくは放り投げられた餌を一心に探す犬のように、その場から走り去りたかった。同時に未来に対して後戻りできなくなる決定的なことも口にしてみたかった。だが、選択に与えられた時間に猶予もなく、あっさりと直ぐに消えてしまう。ぼくは黙っていて、歩いているスピードをいくらか早めただけだった。

「ちょっと待ってよ」と言ってぼくの服の腰辺りをひじりはつかむ。つかまれているのはぼくであり、未来のぼくとは無関係のようでもあった。



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