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リマインドと想起の不一致(26)

2016年04月21日 | リマインドと想起の不一致
リマインドと想起の不一致(26)

 ひじりがはじめて酔った姿を目にする。頬はトマトのように赤く、呂律はいささかあやしかった。彼女をおおっている外壁は(おそらくぼくはそれが第一に好きなのだ)ゆるんだゴムのような様相を示した。

 彼女という確固としたものは、その縁取りの定義をあいまいにした。下手な塗り絵のように輪郭をぼやかして。でも、いつものように甘えたり、からんだりする様子は可愛いとしか例えようがない。ぼくは詩人であり、科学者ではないのだろう。

 翌日、恥かしそうに電話を寄越した。覚えていることと、記憶があいまいな所の狭間に彼女はいる。ぼくだけが覚えているひじりが昨日のあの時間にいた。大きく捉えれば、このぼくの思い出の全部も、ぼくだけが所有しているのだ。彼女を刻々と観察し、整理しつづけた両親ほどに写真をもたなくても。

「気にすることないよ」とぼくはなぐさめる。はじめてお酒という緩和目的のものを口にしたのだ。前例のないことは常に失敗につながる。また本来の意味で飲酒の成功など、どこの世界にも決してない。何度か、あるいは何度も失敗して、ひとは大まかな場所や数値を知るようになる。

 ぼくらは次の週に図書室でテストの準備をしていた。ぼくらが使っている教科書は多少だが違っていた。だが、夜のニュースと同じように似た情報をかみ砕くこともなく教えたがっていた。千差万別という洗練された概念もなく、またあればあったで受験の当事者に影響する責任を無言で一方通行の教科書が負うことも負担が大き過ぎた。

 ぼくらは自転車でゆっくりと帰り道に向かっていた。早目に免許を取った友人のスクーターとすれ違った。身軽で、その新品のボディに光がぶつかった。彼はぼくらにまったく気付かなかった。ぼくらと目の追うスピードが違うのだろう。

 横にいるひじりの背も伸びたが、ぼくも同じぐらい伸びたので関係性は変わらなかった。ぼくらには依存という怪しいものもなかった。また学校という枠内では会わなくなっていたので平均という幻も視野に入れなくて済む。ぼくらは環境という不確かなものにいつも頼っているのだ。しかし、自由という幅もいくらか拡がったのも紛れもない事実だ。

 自由がありながらも時間も一方的に奪い取られる。彼女はバイトに向かう。ぼくは店のそばまで送った。ぼく以外の男性とそこで話し、また笑ったりするのだろうか。ぼくだけが獲得できる資格のある笑顔を。ぼくといない時間にひじりは何を幸福と思い、何に対して悲しんだりするのだろう。

 別の存在だから好きになったり、愛情を示せたりできるのだ。しかし、同一でありたいと無鉄砲に願うことも恋の構成する重要な一部なのだった。

 ぼくは帰り道、電話をして都合をつけた友人といっしょに夕飯にありついた。尽きない話しは、夜をいっそう短くした。


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