竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

幼な子の尿(しと)ほどの雨鳥取泊まり  兜

2018-07-16 | 金子兜太鑑賞
 
幼な子の尿(しと)ほどの雨鳥取泊まり  兜太





昭和52年、「旅次抄録」より

因幡と前書きがある。
昭和50年ごろ、この当時は、作者は盛んに地方へ出かけ句会をされたようだ。
鳥取へも出かけられたのであろう。
鳥取といえば砂丘である、
日中、砂丘を見てきたのではないだろうか。
夜になって、ぱらぱら雨が一降りしたのであろう。
「幼な子の尿(しと)ほどの雨」が誠にいいなあ。
地方の素朴さがよく「幼な子の」から伺い知ることができる。
「尿ほどの雨」から鳥取での温かな人為を感じているのだと思える。
雨降って地固まるとよく言うけれど、
旅先で、夜になって降る雨は旅情のなかに、落ち着くものである。
日中みた砂丘に雨が吸い込まれていくのを感じているのかもしれない。
しかし、「幼な子の尿(しと)ほどの雨」はすごく
いい抒情だなあ。
自宅でもし一雨あってもこういう感覚にはなれないような気がする。


参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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北風をゆけばなけなしの髪ぼうぼうす 兜太

2018-07-15 | 金子兜太鑑賞
北風(きた)をゆけばなけなしの髪ぼうぼうす 兜太





昭和61年、「皆野」より。

北風といえば冬、寒風である。句の情景は容易に描ける。
わたしはこの句に韻律の愉しさを思う。
「きたをゆけば」、北風に身をぐいぐいと踏み出すような感じ。
「かみぼうぼうす」、
寒風に負けていない、気持ちの明るさを感じる。
「なけなしの髪ぼうぼうす」と自分の禿頭を滑稽にいえるほど、
いま、作者はエネルギーに溢れているのであろう。
読んでいるこちらも
元気に、明るく、なれそうな感じがする。


参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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手術後の医師白鳥となる夜の丘  兜太

2018-07-14 | 金子兜太鑑賞
手術後の医師白鳥となる夜の丘  兜太




昭和36年、金子兜太句集より。

白鳥は最後に一声だけ鳴いて死ぬと言う。
「白鳥の歌」が思い出されます。
私は医者ではないので手術のあとがどういう状態なのか
実際には分らない。
しかし、人体にメスを入れて悪い所を取り出すのである。
沢山の血が流れるだろうし、失敗は許されないだろう。
大変な緊張感と興奮状態なのではないか。
重責から解かれた医師が
「白鳥」というのも分るような気がする。
神経を使い果たしているのにみょうに浮き立ち、
体が温い感じ、・・・白鳥だろうなと思う。
手術の結果がよくなかったのではなかろうか?
医師が暗く、自分が死んでいけばよかったと白鳥になったような、
苦悶に満ちて夜の丘を帰っている景が浮かんでくる。


参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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死火山屋島菜の花どきはかもめかもめ   兜太

2018-07-13 | 金子兜太鑑賞
死火山屋島菜の花どきはかもめかもめ   兜太




昭和57年、猪羊集より。

屋島といえば、源平の合戦のあった壇ノ浦を
眼前に見えるという観光地のはずである。
私も小さい頃行ったことがあるが、
小高い丘のような山で、
死火山なんていう山ではない。
「菜の花どき」というのだから、
春、霞がかかっているのだろうか?
死火山と言えば以前に鑑賞した
  死火山に煙なく不思議なき入浴
が思い出される。
この句は、作者が戦地を思い出して入浴をしている。
この句と同じ戦争を下に引いているのではないだろうか。
瀬戸内海を一望でき、
壇ノ浦の歴史を刻む景勝地、
屋島に来て作者は海を見ると、
やはり、トラック島を思い出してしまうのであろう。
その心象を造型してく眩しく菜の花の咲いている屋島でも、「かもめかもめ」
とやはり、兜太さん自身、冬の海に漂うかもめなのであろう
かもめかもめと重ねることによって、菜の花とも重なり、
うららかな春の駘蕩感の中に、
また戦争の体験が蘇ってくるのである
そこに一層、深層の闇があるように思います。


参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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紫雲英田に侠客ひとり裏返し   兜太

2018-07-12 | 金子兜太鑑賞
紫雲英田に侠客ひとり裏返し   兜太



昭和47年、「暗緑地誌」より。

紫雲英は蓮華の漢名。
最近では、休耕田に植えられていたりもするが、
蓮華田はすっかり見かけなくなった。
昭和47年辺りだと、
あちこちで蓮華田が広がっていたことと思う。
侠客と言えばすぐに「清水次郎長一家」を連想してしまう。
侠客とは、強きをくじき弱きを助ける人のことである。
「裏返し」とは何であろう?
からだの向きを変えたということではないだろうか。
「裏返る」という自動詞ではない、
「裏返し」なのであり、
「返る」に比べて軽く遠くへ離したような明るい印象を受ける。
「侠客」との配合で「紫雲英田」なのであろう。
この句の侠客は誰であろうか?私は、作者自身だと思う。
紫ピンクの蓮華田にひとりうつ伏せになった、
甘すっぱい青い香が鼻を突いた、
それを劇画めいて、「侠客裏返り」
ちょっと他人事のように、
粋がって侠客と詠んだものではないか。なにやら面白い。
蓮華の濃いピンクの色彩が、
くっきりと、侠客という言葉で浮かび上がってくるような句ある。

私も、小さい頃よく蓮華田に出かけた。
蓮華田に寝転べばきっとすごく気持ちいいだろうと思ったものだが、
道から見ると分厚い絨緞のように見える蓮華田も、
近くに寄ってみると意外と穴がぽこぽこ空いていたりする。
あっちの田んぼの方がもっと蓮華田がきれいかも知れない
と移ってみてもいつも同じことだったような記憶がある。
わたしには、蓮華田は、
なにかいつもちょっと裏切られたような印象が強い。



参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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土手に横一線の径ことばの野   兜太

2018-07-11 | 金子兜太鑑賞
土手に横一線の径ことばの野   兜太



昭和47年、「暗緑地誌」より

「土手に横一線の径」が「ことばの野」だ、
という作りになっているのではないか。
寅さんの映画にもよく荒川の土手が出てくる。
川は平坦で、土手は堤防になっているから少し小高い、
駆け上がると、一本の径が遠くまで見渡せる。
その見渡せる一本の径が「ことばの野」だという
以前は私も夫と、
時折多摩川の土手をジョッキングしたが、
川風がとても気持ちが良い。
兜太さんは、俳句に、俳句専念して人生を掛けている作者が、
俳句のもつ魔力というか、
17文字で表現できる世界の広さを思うとき、
「土手に横一線の径」だというのは、
誇示のない率直な感慨ではないだろうか。
そして、その土手に上がった時の爽やかさ
川風の清々しさ、川面のきらめき、
その中にある一本の径の、
ことばの野を耕していきたいという
その清々しさがよく伝わってくるように思います。


参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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激論をつくし街ゆきオートバイと化す   兜太

2018-07-09 | 金子兜太鑑賞
激論をつくし街ゆきオートバイと化す   兜太




昭和36年、「金子兜太句集」より。

この昭和30年代は俳句論の盛んな頃であった。
「造型俳句論」を著し、
この年には現代俳句協会が分裂し、俳人協会が発足している。
連日連夜、論が交わされていたことであろう。
目覚めて、街を歩く時、
オートバイと化していると詠まれている。
激論を尽くした爽快感を風の抵抗感を楽しむ、
オートバイと化すとは、とても面白い。
風を切ってオートバイに乗っているようであり、
そして、爆音を立ててオートバイ自身にもなった感じでしょう。
激論を飛ばしたあと、意気盛んに、
肩を揺すって歩く氏の姿が髣髴します。

参照 
http://www.shuu.org/newpage24.htm
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馬といて炭馬のこと語るもよし   兜太

2018-07-08 | 金子兜太鑑賞
馬といて炭馬のこと語るもよし   兜太




平成13年、「東国抄」より。

蛇笏賞の「東国抄」より。
あとがきに、じぶんのいのちの原点である秩父の山河、
その産土の時空を、
心身込めて受け止めようと努めるようになった・・・とある。
みやびより大地にどっしり根ざしたものをと言うのが
兜太さんの作句姿勢なのである。
季語は「炭馬」の炭から、冬であろう。
それにしても、「馬といて炭馬のこと語るもよし」とは、
読んで、なんと力みのない、
大かさであろうか。味わい深い。
「馬といて」の馬とは、今日では競走馬とか、観光馬なのかもしれない。
馬の傍で、昔の炭馬の話をしようというもの。
炭馬とは炭を運ぶ馬のこと、
人がその馬の手綱を引き、馬と共に歩くのである。
人間と馬の、素朴な心通わせる関係があり、
それを思い出して「語るもよし」という、
そこには穏やかな産土の時空がある。しみじみとする句である。
「炭馬」という澄んだ響きも良いなあって思う。


参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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谷間谷間に万作が咲く荒凡夫  兜太

2018-07-07 | 金子兜太鑑賞
谷間谷間に万作が咲く荒凡夫  兜太



昭和56年、「遊牧集」より。

兜太さんは49年に日銀を退職され、その後熊谷に居を構えておられます。
そして、もっとも秩父の山深いところに山荘を持っておられます。
長年海程の俳句練成は、
その山荘の近くにある民宿を借りて行われてきました。
初めて俳句練成句会に(海程では俳句道場と言っています)行きまして、
兜太さんの山荘を見た時、私は大変感銘しました。
山道を歩いていてその前を通っていたのに
山荘があると分ららず後で人に聞き見上げたら山荘があった。
山の斜面に寄り添うように、溶け込むように、
その小さな山荘は秩父の山に渾然と建っていました
土着性を大切にされる兜太さんらしい山荘でした。

さて、掲句ですが、秩父はまことに山深い。
山と山の襞、谷間谷間に村落がある。
そして、山の春は満作の咲くことから始まるのである。
飯田蛇笏さんの住まわれた甲斐の国も熱さ寒さの厳しい所であるが、
秩父も甲斐に負け天候の厳しい所である。
「荒凡夫」は「あらぼんぷ」と読む。
凡夫とは字の如く普通の人間という意味。
親に「与太」って言われている自分でも、
俳句のこととなると血気があがる、荒々しいと自認するのであろう、
よく自分は荒凡夫だと、兜太さんは言われる。
掲句は早春の万作の咲くのを眺めながら、
まこと自分は荒凡夫だなあと思う、というものだろう。
「万作」に作者のどんな思いが込められているのであろうか。
万作は梅や桜のように香しく華やかな花ではない。
べろべろと噴出したような黄色い花らしくない花である
しかし、その万作が咲くと春がやってくる、
春を告げる花なのである。
そして「豊年満作」という言葉があるように、
豊かな実りへの祈りのような、そんな万作の、
荒凡夫でありたいと作者は思っているのではなかろうか。


参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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食べ残された西瓜の赤さ蜻蛉の谷   兜太

2018-07-06 | 金子兜太鑑賞
食べ残された西瓜の赤さ蜻蛉の谷   兜太




昭和57年、「猪羊集」より。

「食べ残された西瓜の赤さ」から
人はどんなことを思うのだろうか? 
わたしは、すぐに贅沢な食べ方って思う。
真ん中の甘いところだけ食べるのだから。
西瓜は中心ほど甘く、周りに行くほど水っぽくなる。
そのことと「蜻蛉の谷」の配合である。
子どもが小さい頃は
毎年のように8月は尾瀬に出かけていた。
尾瀬にも蜻蛉を見かけるが、
尾瀬を出て片品村の渓谷に見る蜻蛉の群れは
まことに美しく今でも鮮明に思い出す。
特に、日の出後のまだ日が高く上がらない頃の、
朝日に、羽根を透かせる蜻蛉の群れは
きらきらとまことに美しい。
句の景は、食べ残されたまだ赤いところのある西瓜を
脇に蜻蛉の群れる渓谷の村に作者は座しているのであろう。
眼前の美しい、渓谷の蜻蛉の群れを作者は贅沢に思ったのではないだろうか。
その贅沢感も「食べ残しの西瓜の赤さ」というのが
兜太さんらしい、生活感にあふれた言葉である。
晩夏の、濃い緑と赤のコントラストが、くっきりとこころに残る、
色彩の効いた句である。
ちなみに私は西瓜は赤い所がなくなるまできれいに食べます。
甘いところから、
だんだん水っぽくなってさっぱりと食べ終われるので、
甘いところだけ
ですと口に甘さが残る感じで好きではない。
さっぱり食べ終わりたいので、最後まで食べます。


参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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遠い日向を妻が横切りわれ眠る   兜太

2018-07-05 | 金子兜太鑑賞
 遠い日向を妻が横切りわれ眠る   兜太

昭和36年、「金子兜太句集」より



作者が目覚めた時は日がすでに高く上って、
妻が明るい日差しの中で立ち働いているのが
襖の少し開いた隙間から見えたのではないだろうか、
そんな景がまず浮かんでくる。
その景を描いた上に、もう一度この句を読んでみると、
「遠い」「横切る」という言葉が
どういう心象で使われたのか考えてしまう。
そこには、作者の妻に対するものや、家庭、家族というものに、
対する視線というか関係が伺えるように思う。
昭和36年と言えば作者が俳句結社「海程」を創刊した年である。
そして、現代俳句協会が分列して俳人協会が発足したのもこの頃である。
前衛俳句の旗幟として、
多くの俳人と俳句論を夜を徹して話し合うことも度々であったことだろう。
日中に眠っている、頭の中は俳句のことでいっぱいなのである。
「遠い日向を妻が横切り」からして、
作者の頭には、妻や家庭はいま遠いのかもしれない、
でも、全く離れて断絶しているのではない関係が
「横切る」から伺うことができる。
どんなに俳句にのめり込んでも、作者にとって、
妻のいる家庭は「日向」なのである。
その日向を懐に抱いて作者は眠り、俳句にのめりこむのである。



参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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桐の花遺偈に粥の染みすこし   兜太

2018-07-04 | 金子兜太鑑賞
桐の花遺偈(ゆいげ)に粥の染みすこし   兜太




昭和61年、「皆之」より

間もなく桐の花が咲くであろう、
私の好きで憬れる花である。
「遺偈に粥の染みすこし」に
「桐の花」という季語をを配合したという、
兜太さんにはめずらしいオーソドックスな作りである。
こうした場合、その季語の働きが問題である。
読み手が、桐の花の季語によって
一層「遺偈に粥の染みすこし」という感受を大きくしている
とき季語が働いていることになる。
「遺偈に粥の染みすこし」とは故人となった人の、
般若心経の経文に粥のあとがすこし残っている、
それを詠んでいるのだと思う。
遺偈は般若心経であろうと解釈した。
粥は故人がどのくらい患ったか知れないが、
病気で療養していたのであろう。
桐の木は高木である。
そしてその花は、初夏の爽やかな空に映え、
紫の花房は新緑の山にも映えて眩しい。
私は、桐の花で、遺偈の粥の染みというものが昇華されて
季語として働いているように思う。
「遺偈」ゆいげという言葉のひびきに
兜太さんらしい太い響きがあるように思うが、
一句としては静かなオーソドックスな抒情の句で、
こいう句も兜太さんにあることに
私としては一層信頼ができる感じです。


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乳房四房がいかにも不思議乳牛諸姉  兜太

2018-07-03 | 金子兜太鑑賞
 
乳房四房がいかにも不思議乳牛諸姉  兜太




昭和61年、「皆之」より。

これは搾乳の様子を見て作られたのであろう。
兜太さんの山小屋のある近くにはたしか牧場があったと思う。
一頭の乳牛にいくらぐらい乳が摂れるのであろうか?
本当に勢いよく乳が搾られているのを見たことがある。
その搾乳を「いかにも不思議」とは、まったくその通りで、
ここには詩的操作が施されていない。
「乳房四房がいかにも不思議」というフレーズからは、
乳牛に対するそこはかとした哀切感がある。
下五に、「乳牛諸姉」という、
私はここに惹かれた。
作者は乳牛に諸姉といかにも親しく人間の尊称で、
呼びかけているのである。
そこには乳牛に対する作者の温かい眼差しがある。
その温かさは「いかにも不思議」という
生な言葉からも醸し出されてくる。
この句には季語が無い。
しかし、一句から私は、早春のつんと立ち上がってくる感じ、
乳房感があるように思う。
産土の乳牛の豊かな温みと早春の感傷を感じさせてくれる。



参照  http://www.shuu.org/newpage24.htm
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砂漠かなコンサートホールにかなかな 兜太

2018-07-02 | 金子兜太鑑賞
砂漠かなコンサートホールにかなかな 兜太




昭和61年、「皆之」より

砂漠、コンサートホール、かなかな、
まったく異質なものが並んでいる。
砂漠といえば、植物の生えてない、
文明社会の入れない砂と空と星と月と太陽の世界。
作者はコンサートへ出かけたのではないか。
開演前、席に着いて待っているのであろう。
薄暗く、天井に小さな照明が星のようで、
消音の効いた、コンサートホールは、
どこか砂漠感があるのだと思う。
間もなく、弦楽器の調律で音が聞こえてきた、まるでかなかなと、
ヒグラシを聞くようだ。
っという景をこの句から描いた。
下の「かなかな」が楽しい。開演前の気分の高揚もあるだろうが、
「砂漠かな・・・かなかな」というところなど、
ちょっとふざけているのかもしれない。
しかし、大変感覚のきいた句である。
生き様を句にしたものではない、だが、
作者の研ぎ澄まされた感性がとてもよく出ているのではないか。
兜太さんの句は重く深く大きくという感じで、
太い神経を思ってしまうが、それは違うのであろう。
掲句は、繊細な感覚の句でありながら、滑稽な面もある、
面白い句だと思いました。


参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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富士二日見えず遠流の富士おもう   兜太

2018-07-01 | 金子兜太鑑賞
 
富士二日見えず遠流の富士おもう   兜太




昭和56年、「遊牧集」より

富士二日見えず、とは、富士山の見えるところに来ていて、
二日目になっても富士山が見えないというのであろうか。
雨天なのか、富士五湖あたりでは
雨でなくても霧が出れば富士山は見えない。
日本人にとって富士山とは何であろうか、
雪を頂きに被り雄大な、裾広がりの山容はいつ、どこで見ても、
ああと溜息が出るほどに、
いつ見ても感動するものである。
日本人の心栄え、精神のようなものだとおもう。
富士山の見えるところで富士山が見えない。
遠流とは重い流罪のことである。
遠流の人もこの富士を見ることを夢見たのであろう。
自分も見たかったなあ・・・
二日間も見えないと、
こんな霧深く思想の闇に入って、
作者自身が遠流しいるような、
それに同情するような気持ちになっているのであろうか。
あまり、よく分からない句であった。

参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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