竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
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富士二日見えず遠流の富士おもう   兜太

2018-07-01 | 金子兜太鑑賞
 
富士二日見えず遠流の富士おもう   兜太




昭和56年、「遊牧集」より

富士二日見えず、とは、富士山の見えるところに来ていて、
二日目になっても富士山が見えないというのであろうか。
雨天なのか、富士五湖あたりでは
雨でなくても霧が出れば富士山は見えない。
日本人にとって富士山とは何であろうか、
雪を頂きに被り雄大な、裾広がりの山容はいつ、どこで見ても、
ああと溜息が出るほどに、
いつ見ても感動するものである。
日本人の心栄え、精神のようなものだとおもう。
富士山の見えるところで富士山が見えない。
遠流とは重い流罪のことである。
遠流の人もこの富士を見ることを夢見たのであろう。
自分も見たかったなあ・・・
二日間も見えないと、
こんな霧深く思想の闇に入って、
作者自身が遠流しいるような、
それに同情するような気持ちになっているのであろうか。
あまり、よく分からない句であった。

参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm

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