竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

手鏡や二月は墓の粧ひ初む

2017-02-28 | 波郷鑑賞
石田波郷の春の句10句を鑑賞(4)


手鏡や二月は墓の粧ひ初む




豆腐得て田楽となすにためらふな

田楽に舌焼く宵のシュトラウス

擁くや夜蛙の咽喉うちひびき

茗荷竹百姓の目のいつまでも

早春やラヂオドラマに友のこゑ

夜半の雛肋剖きても吾死なじ

地蟲出づひそみつ焦土起き伏しぬ

三月風焼跡の馬の臀を搏つ

燕待つ病室人を通さずて


10句の中で表題句を採った
読者はどれを選句しますか
できればコメントを添えて選してくださいませんじか
お待ちしています(丈士)
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がうがうと欅芽ぶけり風の中 波郷

2017-02-27 | 波郷鑑賞
石田波郷の春の句10句を鑑賞(3)

がうがうと欅芽ぶけり風の中




欅(けやき)の大木が、あちらこちらで芽吹き始めている。大木になるために、小さな家の庭は勿論、小さな公園でも、又街路樹としても余り歓迎されない。「困」るという字には、元々、屋敷「□」の「木」が大きくなって「困」るという意味があるようである。狭い土地を更に分割して庇を寄せあって暮らしている人間を尻目に超然と、欅は、今年も、風を相手に蘇ってきている。(板津森秋)


松籟の武蔵ぶりかな実朝忌

日洩れ来し谷を急ぎて実朝忌

古葎美しかりし春の泥

冴返るわれらが上や二仏

多羅の芽の十や二十や何峠

飯盒の飯のつめたき霞かな

負へるものみな磐石や夕霞

放鳩やうすうす帰る雁の列

三月の鳩や栗羽を先づ翔ばす
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囀やアパートをいつ棲み捨てむ  波郷

2017-02-24 | 波郷鑑賞
今回は石田波郷の春の句10句を鑑賞(2)

囀やアパートをいつ棲み捨てむ






春暁の睡たき顔を洗ふのみ

家近く帰り飯食へり春日落つ

早春や室内楽に枯木なほ

櫻餅闇のかなたの河明り

兄妹の相睦みけり彼岸過

神田より帰りて木あり楓の芽

初蝶やわが三十の袖袂

花吹雪ことしはげしや己が宿

木蓮や手紙無精のすこやかに
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バスを待ち大路の春をうたがはず 波郷

2017-02-22 | 波郷鑑賞
今回は石田波郷の春の句10句を鑑賞



バスを待ち大路の春をうたがはず






昭和8年作。
 バスを待つ俳句というのはよく目にするが、とっさにこの波郷句を連想してしまう向きも少なくないはず。
 理屈で考えると、やや散文的な作品とも見えるが、散文か韻文かといえば間違いなく韻文なのである。「うたがはず」の断定的な切れの強さが、春到来の若々しい喜びを伝えてくるからだ。
 この句を見るとき、私は何となく、
  初蝶やわが三十の袖袂
という、後年の句を思い出し、大路に一つの蝶が漂っているさまを想像する。
 この年「馬酔木」では、自選同人制が実施された。そのメンバーに名を連ねたのは、軽部烏頭子、百合山羽公、瀧春一、篠田悌二郎、塚原夜潮、佐野まもる、高屋窓秋、石橋辰之助、五十﨑古郷、相生垣瓜人、佐々木綾香、そして最年少の波郷だった。俳壇では連作俳句、無季俳句などへの試みがさかんになってきた時期だった。
 そんな背景をこの句に重ねて鑑賞してみてもいいかもしれない。




煙草のむ人ならびゆき木々芽ぐむ

あえかなる薔薇撰りをれば春の雷

さくらの芽のはげしさ仰ぎ蹌ける

浅き水のおほかたを蝌蚪のもたげたる

蝌蚪死ぬ土くれ投げつ嘆かるる

春暁の壁の鏡にベツドの燈

春暁の川を煤煙わたりそめ

大阪城ベッドの脚にある春暁

嗽霞を見つつ冷たかりき
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客ありて梅の軒端の茶の煙

2017-02-21 | 虚子鑑賞
高浜虚子 「五百五十句」第8回 昭和十二年に月




客ありて梅の軒端のきばの茶の煙
二月七日 武蔵野探勝会。相州下曾我梅林。加来金升邸。

御霊屋おたまやに枝垂梅しだれうめあり君知るや
二月十九日 家庭俳句会。芝公園蓮池。

かりそめの情は仇あだよ春寒し
二月二十一日 発行所例会。丸ビル集会室。

この年 芸術院会員となった
連日の句会に多忙な虚子の姿が伺える(丈士)
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我が前に夏木夏草動き来る  虚子

2017-02-20 | 虚子鑑賞
高浜虚子 「五百五十句」第7回 昭和十一年七月




我わが前に夏木夏草動き来る
七月十八日 風生招宴。麹町こうじまち永田町、逓信次官官邸。

月青くかゝる極暑ごくしょの夜の町
七月十九日 発行所例会。丸ビル集会室。

航海やよるひるとなき雲の峰
七月二十六日 大阪玉藻会投句。

6月に旅からもどった虚子は多忙だ
この年7月の俳句は自薦でもこの3句のみである
虚子にも不調の時があったとすればなにか安堵の気分が沸く
掲句も秀句とはいえないようだ(丈士)

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船涼し左右に迎ふる対馬壱岐  虚子

2017-02-18 | 虚子鑑賞
高浜虚子 「五百五十句」第6回 昭和十一年六月

船涼し左右そうに迎ふる対馬つしま壱岐いき



上海シャンハイの梅雨懐なつかしく上陸す
六月八日 朝七時、上海著。堀場定祥、大内水、下村非文、星野露頭仏、中田秋平、中原大烏来船。上陸、南市の半淞園プーソンユに行きそれより三菱商事の招宴にて月廼家にて田中三菱商事支店長等と会食。午後五時、閘北の新月花壇のすみれ会に列席。十一時から三菱銀行上海支店の竹内良男の説明にて、フランス租界八仙橋の黄金大戯場に支那芝居を観みる。

船涼し左右そうに迎ふる対馬つしま壱岐いき
六月十日 雑詠選了。対馬見え壱岐見え来る。大阪朝日九州支社より、帰朝最初の一句を送れとの電報あり。

戻り来て瀬戸の夏海絵の如し
六月十一日 朝六時甲板に立出で楠窓と共に朝靄あさもや深く罩こめたる郷里松山近くの島山を指さし語る。

夏潮を蹶けつて戻りて陸くがに立つ
六月十一日 神戸入港。名古屋の丹治蕪人、加藤霞村、加藤了谷。高松の村尾公羽、安藤老蕗。京都の松尾いはほ、平尾春雷、田中八重、田畑三千女、其他京阪神の諸君五、六十名の出迎を受く。蘆屋のとしを居に赴き晩餐。旭川、泊月に続いて『猿蓑さるみの』輪講のため三重史、大馬、涙雨、九茂茅、蘇城来り小句会。それより輪講に加はり午前一時頃帰船。

濁り鮒ぶな腹をかへして沈みけり

蠅はえよけもかぶせて猫は猫板に
六月十九日 家庭俳句会。発行所隣室にて。

朝顔の苗なだれ出し畚ふごのふち
六月二十二日 玉藻俳句会。丸ビル集会室。

籐椅子とういすにあれば草木花鳥来らい


対馬から大阪神戸へと寄港しながら旅を終えた
帰国の喜びが感じられる
帰国後はすぐに俳句会に参じている
芭蕉、一茶、子規などとは全く異なる旅吟が生まれた(丈士)
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スコールの波窪くぼまして進み来る  虚子

2017-02-17 | 虚子鑑賞
スコールの波窪くぼまして進み来る






高浜虚子 「五百五十句」第5回 昭和十一年五月

躄あしなえの妻を車に花に曳ひく
五月二日 キユーガーデン吟行。同行者八田一朗、十時とどき春雄、伊藤東籬とうり、有吉瓦楼ありよしがろう、森脇襄治じょうじ、大林、古垣鉄郎、池田徳真、槙原夫人、保柳夫人、小野龍人、保柳才喜、小野静女、友次郎、章子。夕刻日本人会に戻り食後披講。

日本にっぽんの花の提灯ちょうちんともるもと
五月六日 朝九時、川村、伊藤、松本、河西夫人、八田、岩崎に見送られヴイクトリア・ステーシヨン発、正午頃ドーヴアー駅著。英吉利イギリス船にて海峡を渡り午後一時半頃仏蘭西フランスのカレー駅より乗車、五時頃巴里パリ著。上野に迎へられ直ちにマゼスチツク・ホテルに入る。アルフレツド・スムーラを帯同して松尾邦之助来訪、うち連れて佐藤醇造を誘ひヂユリアン・ヴオカンス訪問。晩餐。席にアルベール・ポンザンありて一同と共に仏蘭西のはいかい談に花を咲かせ記念撮影。ヴオカンス邸即興。

ハンカチの蝶と細りて尚なお振れる
五月八日 午前十時、馬耳塞マルセイユ著。郵船会社に立寄り箱根丸乗船。山下馬耳塞領事来船。四時出帆。友次郎は山下領事等と共に波止場に立ち長く見送る。港内にて清三郎乗船の筥崎丸はこざきまると行違ふ。

紅海に船早はや浮ぶ帰帆疾とし
五月十四日 スヱズ運河通過、紅海に入る。

熱帯の海は日を呑のみ終りたる

この暑さ火夫や狂はん船やとまらん
五月十七日 紅海航行。暑さいよ/\劇はげし。

スコールの波窪くぼまして進み来る
五月二十一日 初めてスコールに遇あふ。

亘わたりたるリオ群島は屏風びょうぶなす

鰐わにの居る夕汐ゆうしおみちぬ椰子やしの浜

扇風機まはり熱風吹き起る
五月三十日 朝、新嘉坡入港。奥田彩坡、古根勲、森野熹由、山口勝、宮地義雄、志村空葉夫妻、玉木北浪来船。玉川園に行き日本人会に於ける俳句会に赴き、転じて森野の招宴に列し再び日本人会に赴く。深更帰船。


再び船上の旅人となった虚子
火夫、スコール、熱風、帆布などしっかりと観察している(丈士)
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梨花村の直ぐ上にあり雪の山  虚子

2017-02-16 | 虚子鑑賞
高浜虚子 「五百五十句」第4回 昭和十一年四月

梨花村の直ぐ上にあり雪の山





宝石の大塊のごと春の雲
四月十九日 箱根丸にて楠窓、友次郎と協議の末、米国経由帰朝のことを断念。午後、松岡夫妻、楠窓、町田一等機関士、章子、友次郎等とサンフリート村に花畑見物。

舟橋を渡れば梨花りかのコブレンツ

両岸の梨花にラインの渡し舟

梨花村の直ぐ上にあり雪の山
四月二十一日 ライン河。

木々の芽や素十すじゅう住みけん家はどこ
四月二十一日 シユロツス・ホテル、バルコニーよりハイデルベルヒの町を望む。

望楼ぼうろうある山の上まで耕され
四月二十二日 午後一時五分発、車中雑詠選に没頭。夜、伯林ベルリン著。三菱商事藤室益三夫妻に迎へられ大和旅館に入る。沿道触目。

夜話やわ遂ついに句会となりぬリラの花
四月二十四日 藤室夫人東道、日本人の学校参観、講演。「あけぼの」にて昼食。それよりオリムピツク敷地一見。カー・デー・ベー百貨店に立寄り帰宿。大毎社員加藤三之雄来訪。夜、三菱商事支店長渡辺寿郎邸にて晩餐会。井上代理大使夫妻、孫田日本学会主事、藤室夫妻等と小句会。

春風や柱像屋根を支ささへたる
四月二十六日 渡辺夫人、藤室夫妻東道、ポツダムに赴く。恰あたかも日曜日。ポツダム宮殿。

箸はしで食ふ花の弁当来て見よや
四月二十六日 更に桜の名所ヴエルダーに車を駆る。藤室夫人携ふるところの日本弁当を食ふ。群衆怪しみ見る。

国境の駅の両替遅日ちじつかな
四月二十七日 藤室夫妻と再び日本人学校に赴き、日本人会にて昼食。午後一時五十分伊藤夫妻、迪子、バーミング、ビユルガ姉妹、京極、篠原、高田、寺井、昌谷、世良、仙石に送られツオ駅発、独蘭国境に向ふ。

倫敦ロンドンの春草を踏む我が草履ぞうり
四月二十八日 朝七時前ハーウツチ港著。それより汽車にてリバプール・スツリート・ステーシヨン著。上ノ畑楠窓、八田一朗、松本覚人、槙原覚、河西満薫、有吉ありよし義弥、高橋長春、常盤の主人岩崎盛太郎の出迎を受く。それより覚人君嚮導きょうどうの下に楠窓、一朗両君と倫敦市中一見、デンマーク街の常盤本店にて休息。タフネルパークロードの常盤別館に入る。駒井権之助、朝日新聞社古垣鉄郎氏来訪。晩餐を待つ間小句会。

名を書くや春の野茶屋の記名帳
四月三十日 覚人東道、沙翁さおうの誕生地ストラツトフオードに向ふ。楠窓、一朗、友次郎、章子同行。

春の寺パイプオルガン鳴り渡る
四月三十日 シエクスピア菩提寺ぼだいじ。

売家を買はんかと思ふ春の旅
四月三十日 三時頃シエクスピア菩提寺より帰途に就く。

船旅を思い切り楽しんでいる様子が伺える
旅先での邂逅の描写も踊っている
最後の掲句にこの旅の感動が著しい(丈士)

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稲田ありどあり日本に似たるかな 虚子

2017-02-15 | 虚子鑑賞
稲田ありどあり日本に似たるかな



高浜虚子 「五百五十句」第3回 昭和十一年三月




晩涼や火焔樹かえんじゅ並木斯かくは行く
三月四日 新嘉坡シンガポール著。石田敬二、東森たつを来訪。次で三井物産支店長松本季三志夫妻、三菱商事支店長山口勝、宮地秀雄等来船。敬二東道の下に章子を帯同、一路自動車にて奥田彩坡さいは経営の士乃セナイの護謨ゴム園を訪ふ。横光利一よこみつりいち同道。帰途タンジヨン・カトンの玉川ガーデン、敬二居等に立寄り、今日の吟行地植物園に下車。それより空葉居に一憩、新喜楽にて晩餐ばんさん。俳句会。

稲妻のするスマトラを左舷さげんに見
三月五日 新嘉坡碇泊。日本人共同墓地に二葉亭四迷ふたばていしめいの墓を弔ふ。敬二、楠窓同道。章子は途中空葉居に下車。帰途敬二居に立寄り帰船。正午出帆。

稲田ありどあり日本に似たるかな
三月六日 彼南ペナン著、上陸。

月も無く沙漠暮れ行く心細こころぼそ
三月二十一日 午後三時、蘇士スエズ入港。陸路カイロに到りメトロポリタン・ホテル一泊。


2月16日に船上の人となり渡仏の旅
表題句は3月6日のもので旅立ちからおよそ20日間を経過した日のもの
「とあり」は「とある」の誤植?

それぞれの旅行吟で虚子のたしかな写生眼もさりながら
旅愁も漂い始めているようだ(丈士

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我心春潮にありいざ行かむ  虚子

2017-02-14 | 虚子鑑賞
高浜虚子 「五百五十句」第2回 昭和十一年二月

我心春潮にありいざ行かむ




古綿子ふるわたこ著きのみ著のまゝ鹿島立かしまだち
二月十六日 楠窓なんそう東道の下に、章子を伴ひ渡仏の途に上る。午後三時横浜解纜かいらん箱根丸にて。

我心春潮にありいざ行かむ
二月十九日 神戸碇泊ていはく。花隈、吟松亭、関西同人句会に列席。

日本にっぽんを去るにのぞみて梅十句
二月二十一日 朝、門司著。萍子へいし招宴、三宜楼。

上海シャンハイの霙みぞるゝ波止場はとば後あとにせり
二月二十六日 箱根丸船中。

春潮や窓一杯のローリング
二月二十九日 朝、香港ホンコン出帆。

顔しかめ居る印度インド人町暑し

著飾きかざりて馬来マレー女の跣足はだしかな

裸なる印度ますらを幸さきくあれ


虚子は神戸からこの月、フランスへ旅立った
出発前の期分の高揚がうかがいしれる
また船上での発見を詠んでいる(丈士)
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物売も佇たたずむ人も神の春  虚子

2017-02-12 | 虚子鑑賞
物売も佇たたずむ人も神の春



今回から高浜虚子が自薦の550句を紹介したい
今日は 「五百五十句」高浜虚子編

本人の序文を掲載した







 さきに『ホトトギス』五百号を記念するために改造社から『五百句』という書物を出した。これは私が俳句を作りはじめた明治二十四、五年頃ごろから昭和十年までの中から五百句を選んだものであった。先頃桜井書店から何か私の書物を出版したいとの事であったので、『ホトトギス』が五百五十号になった記念に、その後の私の句の中から五百五十句を選み出してそれを出版して見ようかと思い立った。思い立ってから大分日がたった。この月出ている『ホトトギス』は五百六十一号になっている。それはどうでもいいとして、昭和十一年から昭和十五年まで約六年間の間に五百五十句を選んだのであるから、前の『五百句』の約四十五年の間の句の中から五百句を選んだのに比較して見て少し精粗の別がないでもないが、要するに記念のための出版であって、その他の事は格別厳密に考える必要もないのである。『五百五十句』という書物の名にしたけれども五百七、八十句になったかと思う。それも厳密に考える必要はないのである。
 私は本年古稀こきである。自おのずから古稀の記念ともなったわけである。

昭和十八年五月十九日
鎌倉草庵にて
高浜虚子
註 改造社発行拙著『五百句』の百六十一頁「天の川」の句は取消す。



昭和十一年一月

かもの中の一つの鴨を見てゐたり
一月二日 武蔵大沢浄光寺。旭川きょくせん歓迎会。

枯れ果てしものの中なる藤袴ふじばかま
一月四日 百花園偶会。水竹居、あふひ、花蓑、実花。

物売も佇たたずむ人も神の春
一月五日 武蔵野探勝会。目黒不動、大国家。

枯荻かれおぎに添ひ立てば我幽かすかなり
一月八日 謡俳句会。百花園。

渋引きしごと喉のど強し寒稽古かんげいこ
一月十八日 谷中やなか本行寺ほんぎょうじ。播磨屋はりまや一門、水竹居、たけし、立子、秀好。
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鴨の嘴よりたらたらと春の泥  虚子

2017-02-11 | 虚子鑑賞

  
 鴨の嘴よりたらたらと春の泥     虚子




        昭和八年三月三日
        家庭俳句会。横浜、三渓園。

この日の他の俳句を見てみる。『句日記』からによると、

  枯蓮の間より鴨のつづき立つ
  此湾を塞ぎて海苔の粗朶はあり
  海苔粗朶の沖の方にも人立てり
  湾の内浅瀬に立てる春の波

 
この風景は、
 当時はかなり遠浅の海に面していた三渓園。その湾の果てにはそれを塞ぐように海苔の粗朶が続いている。
 その沖には人が立てるような浅瀬もあったのだろう。そこに立つ人はもくもくと海苔を摘む。湾のところどころの浅瀬には小さな春の波が立つ。
 枯れた蓮の葉や茎の間からは春の鴨がばたばたと飛翔する。まだ、寒い春の干潟。
 
 それにしても、この一羽の鴨の姿態は印象的だ。
 鴨の句を作ろうとすると、いつもこの句が脳裏に浮かぶ。鴨が嘴を水に突っ込んで何かを漁るとき、いつもカタカタと音を立てて水をこぼす。
 今の三渓園にも鴨は来るだろうが、この春の泥があるだろうか。干潟に暖められた泥の質感があるだろうか。
 単に、人工の湾となった現代の泥では春の泥にならない。「たらたら」という擬音語が効果的。泥でも水でもない、その中間の泥水。そして、ぬくい。鴨の体温と干潟の水温がそこにある。だから、留鳥の春の鴨であって、なんだかほっとする。
 ところで、この句碑が三渓園の大池のほとりにある。今や、海岸線からはうんと内陸にあるので、その池の鴨かと思う。そこからは、海も見えない。なんだか、少し淋しい。
 
 ちなみに、家庭俳句会だから星野立子も居た。
 その立子の命日がこの三月三日。偶然ではあるが、この日の長閑さが身にしむ。そして、この日は雛祭りの日。子煩悩で、特に女の子を可愛がった虚子の姿が見える。
 この家庭俳句会から多くの名句が出た。虚子のおだやかで、肩の力が抜けた写生句が多いためだろう。(坊城俊樹)


今回は虚子の血筋を受け継いでおられる坊城俊樹氏の選と鑑賞を紹介した(丈士)
 
 



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遅桜なほもたづねて奥の宮  虚子

2017-02-10 | 虚子鑑賞
遅桜なほもたづねて奥の宮





虚子 春の句10句(30)
やはりいずれも確かな韻と
定型での叙景感が明らかなものばかり
一読平明で分かりやすい

掲句は10句のなかから私の選んだ1句
私にもこんな実体験があったように思われる(丈士)

斯く翳す春雨傘か昔人

春山の名もをかしさや鷹ケ峰

一片の落花見送る静かな

くぬぎはらささやく如く木の芽かな

草間に光りつづける春の水

両の掌にすくひてこぼす蝌蚪の水

行人の落花の風を顧し

おもひ川渡れば又も花の雨

此の村を出でばやと思ふ畦を焼く


【遅桜】 おそざくら


花時に遅れて咲く花。春の盛りを過ぎて、大方の花が散りすぎた後、時を遅れて咲きでた桜に、昔から一種の珍しさと哀れさを感じ取った。

山坂や風傷みして遅ざくら  秋元不死男
遅桜北指す道の海に添ひ  野澤節子
雲霧にこずゑは見えず遅ざくら  飯田蛇笏
一もとの姥子の宿の遅桜  富安風生
遅桜河口に雨のつづきをり  宇田喜代子
顳?(こめかみ)のさびしく動く遅ざくら  山上樹実雄
埋木に非ず彦根の遅桜  甲斐すず江
楢山の景をうすめて遅ざくら  森 澄雄
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これよりは恋や事業や水温む 虚子

2017-02-08 | 虚子鑑賞
これよりは恋や事業や水温む




虚子/春の俳句 前回につふけて10句
いずれも景が鮮やかに映る
上品なまとまりに納得する

舟岸につけば柳に星一つ

濡縁にいづくとも無き落花かな

提灯に落花の風の見ゆるかな

鎌倉を驚かしたる餘寒あり

春雨やすこしもえたる手提灯

雲静かに影落し過ぎし接木かな

造花已に忙を極めたる接木かな

葛城の神みそなはせ青き踏む

山吹の雨や双親堂にあり




追記/運命は笑ひ待ちをり卒業す  虚子
                           
今の時代、留年せずに無事卒業してもその後の困難さを思えば、少数の例外を除けば「笑う」がごとき前途洋々としたものであるとは思えない。そして、運命はあざ「笑う」かのように複雑な管理機構の中で人を翻弄し続ける。この句は昭和十四年の作である。当時の大学・高等専門学校の卒業生(そして中学を含めても)は今の時代には考えられないほどのエリートであった。しかし戦火は大陸におよび「大学は出たけれど」の暗い時代であった。運命の笑いをシニカルなものとしてとらえたい。だが、大正時代、高商生へむけ「これよりは恋や事業や水温む」という句をつくっている虚子である。卒業切符を手にいれたものへの明るい運命(未来)を祝福する句とも言える。いずれにしろ読者のメンタリティをためすリトマス試験紙のような句である。『五百五十句』所収。(佐々木敏光)
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